bad times

「仕事とそれに伴う酷い一日について」

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今日のできごとについて、今日という酷い一日について、仕事の話を抜きには語れない。今の仕事に関してはこれまで敢えて書いてこなかったけれど、今日は仕事の話から始めよう。

今の僕の仕事は、制作責任者、プロデューサーであるけれど、クライアントは携帯端末を作っている大手メーカー、コンテンツを配信する大手プロバイダ、もしくはキャリアと呼ばれる電話会社と言えばおのずと何を作っているのかは想像がつくだろう。なので、どちらかというと音楽業界というよりもIT業界に近い。ただし、僕や社長を始め、音楽業界出身者が会社のほとんどを占め、方法論は音楽業界の方法論である。僕の下にはディレクターが3人と、2人のクリエイター、計5名の部下がいる。ディレクターのうち2人は元アーティストで、錚々たる経歴の持ち主である。これまで、音楽制作会社にいたときにチーフ・プロデューサーとかチーフ・ディレクターとか、名前だけは管理職っぽい肩書きがついたことはあったけれど、実質本当の意味での管理職の仕事をするのは今の会社が初めてだ。御存知のとおり、僕は本来ナマケモノで自堕落な性格ゆえに、組織や経営というものに対する意識は極めて薄く、もっとも苦手とするところである。前の会社を辞めたのも、その辺を求められた経緯があってのことだ。そんなわけなので、そもそも今の仕事に就くときにも果たして自分がやれるのかどうか半信半疑ではあったのだが、年齢的にももう後がないという思いもあって、半分以上ハッタリ、目をつぶって始めたようなところがある。ところが蓋を開けてみると、この二年ほど、そこそこ結果もついてきて、好きか嫌いかはともかく、やれば案外できるじゃん、オレ、などと思っていた。以前日記にも書いたヘッドハンティング事件なども勘違いに拍車をかけた。

僕が仕事を始めるに当たって、なによりも心がけたのは会社の居心地をよくすることである。結果はともかく。とは言っても、居心地をよくするためには結果が必要でもあった。自分が能力はともかくマインドとして適性がないのはわかっていたから、こんな自分でも仕事が続けられる環境にしようという、ナマケモノならではの発想である。まあそれが結果的にはよかったわけだ。これまでは。そんな感じなので、入社当時にまだ色濃く残っていた音楽業界特有のサービス残業、とにかくこき使えるまでこき使うといった会社の姿勢には徹底的に対抗したし、とにかく単なる偶然であれ結果を出して、それをよりどころに言いたい放題言って改善を求めた。自分が楽をしたいが故に、いかに自分のセクションの部下に楽な環境を与えるかということに奮迅した。てなわけで、そこそこ楽な環境を作り上げた。

そんなわけなので、部下に対しても基本的に放任主義である。自分が言われて嫌なことは極力言わない、同じことをくどくど言わない、細かいことをいちいち事細かに指図せず自主性に任せる。その結果が、皮肉なことに本日まったくもって裏目に出てしまった。

ことのあらましはこうである。毎週定期的に納品している、最大のクライアントであるプロバイダがいる。最大のクライアントということは最大のトラブルの元であるとも言えるのだが。このクライアントとはこの一年あまりトラブルが続いて信頼関係が危機的状況にあるというのが今回の伏線としてあった。ともあれ、売上の筆頭であり、一番のお得意さんというわけだ。このお得意さんから先週クレームが来た。うちの納品物が一番ケアレスミスが多いというのである。これは単なる納品物の表記のミスといった、もっとも単純なミスのことで、前々から気になってはいたのだが、いざお宅が一番多いと言われると、一気に重大な問題になるし、なによりも恥ずかしい。さすがに僕も部下を集めて叱咤するしかない。微妙で難しいことならいざ知らず、単に付き合わせて確認すれば防げる、言ってみれば字さえ読めれば誰でもできる仕事である。皆を集めて、これがいかに恥ずかしいか、重大な問題であるかを話し、次回(つまり本日である)は絶対にミスをしないように言い含めた。厳しい言い方はしたものの、飽くまでも部下たちの自主性に任せるという方針は変えず、細かい具体的な指示は敢えてしなかった。実際、彼らは自分たちで相談して、全員で二重三重にチェックするという方法を取ると決めていた。ところがである。今日昼の打ち合わせを終えて確認してみると、たった一つではあるがまたしても確認ミスがあった。

最初僕は一通り怒った。なんでこんな単純なミスをまたするのだ、と。問題はそのあとだ。怒りを通り越して、酷い落胆が僕を襲った。まったく酷い落胆であり、失望だった。部下を信頼できなくなった自分に気がついた。彼らは僕を裏切った。僕の信頼を裏切った。こんな、中学生でもできる仕事をこんな重大な局面でできなかった。たった三十分ほどの集中さえできなかった。絶対ミスしてはいけないところでもっとも単純なミスを犯した。彼らは状況をまったく把握できていない。甘えがある。それも、致命的な甘えがある。そんな考えが頭の中をぐるぐる回り、加速していった。こんなとき、いったい僕は管理職としてなにを、どう言えばいいのだろう? そればかりを考えた。

少し頭を冷やす必要があると思い、いつもの喫茶店に行ってコーヒーを飲みながら読みかけの本を読もうとしたが、いったん回り始めた思考は慣性の法則のようになかなか止まらず、文章がちっとも頭に入らない。その後も負のサイクルはなかなか衰えを見せず、部下に命じていたマーケティングの表の作り方が悪いと当り散らす自分に気づき、またもや頭を冷やそうと近くの公園で煙草を吸った。散歩していた放し飼いのテリアが足元にすりよってきた。飼い主が駆け寄ってさかんに謝った。僕はよほど仏頂面をしていたに違いない。公園を歩いても虚しさが押し寄せるばかりだ。唐突に頭に浮かんだ。もうこいつらとは仕事をしたくない。信用できない奴らと仕事をすることはできない。それでなくても近頃は上司をはじめ、上の連中、会社の方針が納得がいかない。そうだ、辞めちまうというのはどうだ。それはどういうわけか名案のように思えた。これはどうだ。次の納品で同じミスをしでかしたらオレが辞めるというのはどうだろう。素晴らしいアイディアに思えた。彼らに本当の危機感を抱かせるにはそれしかないように思えた。また同じことを繰り返すようなことがあれば、今度こそ解決策というものはないように思えた。オレが辞めるという方があいつらには応えるだろう。実際、彼らにはそれぐらい必死になって欲しかったし、身をもって示さなければ本当の危機感というものは身に沁みないと思った。そうしなければ、僕が失った彼らへの信頼感を取り戻せないような気がした。僕はどこまでも彼らを信用したかった。それに、本音を言えばこれ以上のトラブルはもうゴメンだ。もう面倒くさいことはゴメンだ。責任を取らせるのではなく、僕自身が責任を被るのだ。僕はなにかをはっきりさせたかった。だが、それがなにかはよくわからなかった。

僕の定時は部下よりも一時間早い。自分の定時に部下を集めて、話を始めた。いざ話し始めると急に先ほどまでの自信が揺らぐ。果たして本当に正しいのかどうか。しかし、もはや自分の中ではのっぴきならない、引っ込みのつかないところまで来ていた。今回のことは甘やかしすぎたオレの責任だ。だから今度の納品で同じミスがひとつでもあればオレは会社を辞める。お前らのように口だけじゃないことを見せてやる。案の定、皆うなだれて重い沈黙が訪れる。僕は沈黙が嫌でさらに余計な言葉を重ねる。言いながら、ああ、もうこんなことはうんざりだ、と思う。オレはいったい何を言っているのだ、と思う。オレは間違っているのだろうか、と思う。すると、部下のひとりが口を開く。あなたが辞めることはないです。今度のことはオレの責任ですから、オレが辞めるべきです。オレを首にしてください。僕はすっかりうろたえる。予想だにしなかった展開に驚く。十分にありえた展開だが、頭に血が上った僕は想像力に欠けていた。それでは意味がない、などと、まったく自分にしかわからない言葉を吐く。結局うまく論理だって言うことができない。ああ、失敗した、と思う。しかし、そのまま押し切るしかない。もう僕は引っ込みがつかない。部下は取り返しのつかないミスをしたが、僕は僕で取り返しのつかないことを言ってしまった。

その後話題の矛先を先ほどのマーケティングのやり直しに転ずる。すると、皆は打って変わって積極的に修正案を話し合い始める。僕はそれを見て、少しは効果があったのだろうかと、ちょっとだけ安堵を覚える。熱心に論じ合う部下たちに先に帰ることを告げた。

しかし、帰りの電車の中でも僕の頭の中はちっとも収まりがつかなかった。落胆と失望と後悔がごったになって、どうにも収拾がつかなかった。なにが正しくて、なにが間違っているのか、さっぱりわからなかった。あれほど名案に思えたことも、世界最大の愚行のように思え、それ以上に部下を信用できなくなったことの落胆を抱え、なにをどう取ってもバランスのとりようがなかった。それは自宅に帰ってからもそうだった。居ても立ってもいられない気分だった。すべてを修正して、すべてをやり直して、すべてなかったことにしたかった。しかし、すべてはあったのだ。

誰かと話さずにいられなかった。誰かと話したくてしかたがなかった。けれども、誰と話したらよいのかわからなかった。とにかく、違う話をしてみようと田舎の母親に電話して、連休に帰省するという話をしてみた。しかし、これはまったく逆効果だった。僕はこんな話をしたいわけではないのだ。かえって嘘を吐いているような気分になり、さらに気が滅入った。ひとまずこんな話をできる相手は一人しか思いつかなかった。だいたい、こんな話をよろこんで聞いてくれる人間などいない。僕に必要なのは、こんな話でも受け止めてくれる人間だ。結局僕はKに電話した。幸い、まだ寝る前だった。久しぶり、と数年前まで付き合っていた彼女は言った。まったく余裕のない僕は、これこれこういうわけで、と一気に喋った。すると、彼女は笑って、そういうことってあるのよ、と言った。しかし、ホントにアホみたいに単純なミスなんだ、と僕は言った。すると彼女は言った。やっちゃいけないときに限ってやっちゃうってときがあるのよ。なるほどね、と思った。世界の真理を教えてもらったような気がした。間が悪いことって得てして重なるものなのよ。しかし、オレは辞めるなんて言っちゃったしな。撤回しちゃえば、と彼女は笑った。そういうわけにはいかんのだよ。潔癖すぎるんじゃないの、と彼女は言った。

まあこんなことで少しは気が楽になった。ちょっと俯瞰して考えられるようになった。しかし、そうなると、ますます自分の言動が、いかに極端で、いかに馬鹿げたことであったか、いかに早計でいかに短絡的であったか、ということに思い当たるのである。しかしながら、まったく情けないことながら、僕という人間はああいったことを言ってしまい、実際に行動に移してしまう人間なのだ。一度言ったことを引っ込めることはできない。それがいかに馬鹿げたことであっても。それは僕という人間の逃れられない宿命のようなものだ。

実際のところ、僕にはうすうすわかっていた。人を信用できないということは、自分を信用できないことでもあるのだ。人を許せないというのは自分を許せないということだ。致命的なミスをしたのは、他ならぬ自分なのだ。本当の意味で責任があるのは僕なのだ。失望しているのは、自分自身に対してなのだ。甘えていたのは僕自身だった。実際、ミスを重ねていたことを知りながら、まあいいか、そのうちなんとかしてくれるだろうと見過ごしていたのはこの僕だ。

この顛末がいったいどう転がるか、僕にはわからない。言ってしまったことはどうにもならないし、起こってしまったことはどうにもならない。そもそも、僕は考え過ぎるきらいがあるし、そのくせ行動は衝動的である。それも致命的に。このまったくもってつまらない一文に最後まで付き合ってくれた人に陳謝して、今日という一日を終えよう。

written on 27th, apr, 2004

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