着いたばかりの両親とコタツに入って話しをし始めると、父がいつもの如く僕を心配して「なんだったら二・三ヶ月うちに戻って来い」と云うようなことを話し始めた。何故だかまったく分からないが、僕は急に耐えきれなくなって大声で喚き始めた。両親が心配していることや僕を気遣っていることは百も承知で、ところがとんでもなく精神が脆弱になっているそのときの僕にはそれがとてつもない負担に感じられて、責め立てていられるような感じがしてしまうのだ。アタマの半分はそれを理解しているのだが、それが故に逆にその自分自身の状態すらいたたまれなくなって僕は何事か喚き散らした。喚き散らしているうちに、自分のことをこれほど心配して愛してくれている父とすらコミュニケーションがとれない自分が悲しくて堪らなくなり、クッションに顔を伏せてボロボロ泣いた。後から後から涙が出てきた。ああ、僕はパパとママとすらコミュニケーションがとれなくなってしまった。とか云いながら。そして誰にともなく助けて助けてと叫びながら。突然、台所に居た母が飛んできていきなり僕を抱きしめた。それはホントに僕が覚えていないくらい子供の頃以来のことで、物心ついてからはもちろん初めてのことで、僕は本当にびっくりした。少しずつアタマが元に戻りながらも、それが故に両親を苦しめている自分も見えてきてまだ涙が止まらなかった。数分後にようやく落ち着いた後、笑みを浮かべた両親にさあ買い物に行こうと云われて立ち上がりながら、僕は父に振り向いて云った。「パパ、ごめん」
それからは将来のこととか、深刻な話を両親がすることはなく、僕らは隣の駅まで歩いて冗談を云って笑ったりしながら買い物をして、買ってきた食材で僕が料理をした。気がつくと父が掃除をした風呂場はここが僕のアパートかと思えるほど綺麗になっていた。一夜明けたクリスマス・イヴの日、昨日と同じく外は驚くほどの陽気で穏やかな天気だった。三人でまた近所のショッピングセンターに買い物に出かけた。歩きながら疲れたねとかあれは山茶花の花だとか、あの木になっているのは夏みかんに違いないだとか話しながら。そうしている間にもずっと、どこかで僕は彼らに気を使わせてしまっているのだなと云う寂寥感を隅っこに抱えながら。
家に戻ると、昨日と同じく昼食は僕が蕎麦を茹でた。父は時折ちょっとした世間話の中で、本当に単純なプロットがなかなか理解できなかったりする。母に訊くと、難しいことは分かるのに、たまにホントに簡単なことがなかなか理解できなかったりするのだと云う。惚けてるわけじゃないんだけど、ほら一度蜘蛛膜下出血で倒れたりしたから。そう云えばあのときはしばらく右半身が不自由になったりちゃんと喋れなくなったりもしたもんね、などと話しながら僕はまたちょっと悲しくなった。
今年の正月は銀行員の弟一家は忙しくて帰省出来ないと云う。僕は帰りたくてしょうがない。いつものように年越しの蕎麦を一緒に食べてのんびり正月を一緒に過ごしたい。僕が帰らないと二人だけで正月を迎える両親はきっととても寂しがるだろう。しかし、僕は今年は帰るのは止めると云った。きっとまたこんな迷惑を掛けると悪いから。もう少しよくなったら帰るよと。云いながらとてもとても辛かった。
夕方の新幹線で帰る両親を駅まで送っていった。改札を抜けてホームに降りていく両親の後姿を見ながら、僕は立ちすくんでいた。彼らは振り返らずに階段を降りていった。もし振り返ったら僕は堪らず涙をこぼしてしまったことだろう。改札の前に佇んで、ああこれで本当に独りになってしまったと思った。寂しくて寂しくて堪らなかった。僕は世界で一番孤独なのかも知れないとすら思った。僕は涙がこぼれてしまわないように、慌てて駅ビルの本屋に入り、あてもなくさまよった。気がつくと買っていたジョン・アーヴィングの短編集を手に、行き場所を失った僕は夢遊病者のようにとぼとぼと家に向かった。本当に寂しかった。
その後のことはあまり覚えていない。コタツに入って二三時間寝てしまったあと、コツコツとミートソースを作って黒澤明の特番を見ながら独りで食べた。
さっきクスリを飲んだばかりなのにもう眩暈と吐き気がする。もうこれ以上書けそうにない。これが僕のクリスマスだ。そしてこれがいまの僕だ。