coffee

「珈琲」

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僕の日記を読んでいる人なら、僕がコーヒーに対して結構こだわりのある人間であることはご存知だと思う。実際のところ、生豆を仕入れて自分で炒ってブレンドして飲んでいる。もちろんそれはおいしいからなのだが、もうひとつの理由は生豆が安いから。何しろ1kgで1000円。スタバで豆を買ったら200gで1000円だ。豆が切れたときはスタバで豆を買う。スタバの豆は炒り方が絶妙なので自分で淹れれば十分においしい。ところが店で出すコーヒーは香りがない。これは単純にコーヒーが薄いからだ。だから味にも奥行きがないし、コクもない。これはアメリカのスタバでも同様で、アメリカではショートというサイズがなく、一番小さいサイズでトール。ラスベガスに仕事で泊まったときに、朝、このトールのレギュラーを頼んだら、ふちまでなみなみと注いであり、水でもこんなに飲まんだろ、という量。でもって薄いから飲めたものではない。なにしろ味がしない。それ以来、アメリカのスタバではドピオ(エスプレッソのダブル)しか頼まない。

別に僕は昔からこんな風にコーヒーの味に拘っていたわけではない。コーヒーオタクっぽくなったのはここ十年ぐらいのこと。以前はとにかく喫茶店というものが好きだった。落ち着ける喫茶店という場所が好きだった。僕が好むのは、出来れば木の床でしっくいの壁、それに日が当たる席とそうではない奥まった席の両方ある、程よく広い店。用賀に住んでいたころ通っていた喫茶店はまさにそういう店だった。その日の気分によって、例えばただぼんやりと煙草を吸いたいだけなら外の景色が見える窓際の日が当たる席、本を読んだり小説の原稿を書くときは日の当たらない奥まった席。落ち着ける場所があるというのは実に重要なことだ。今住んでいる街には喫茶店というものが本当に少ない。最近、駅前にカフェが一軒できたぐらいで、後は落ち着かないドトールか煙草の吸えないスタバしかない。困ったものだ。まあそのお陰で喫茶店に通いつめるというかつての習慣はなくなり、帰宅して自宅でコーヒーを飲むようになった。

今はもうないだろうけど、かつて僕が高校生のとき、山形駅前に「OIL CAN FREE」という喫茶店があった。石油が自由を可能にする。当時はそれほどコーヒーの味にこだわってはいなかったが、それでもあまりおいしいとは言えないコーヒーだった記憶がある。だが、この店は当時としては実に瀟洒で落ち着く造りの店だった。もう一軒、駅前の裏通りに「ジョンブル」という紅茶専門店があり、こちらも木造の2階建て洋館風の、ある意味横浜っぽい、実にお洒落で落ち着く造りをしていた。70年代には山形のような田舎にもそういうモダンで落ち着く店があった。

大学に進学して上京してからはもっぱら住んでいた高円寺のジャズ喫茶や深夜ロック喫茶に入り浸った。それらはけしてお洒落ではなく、むしろ穴倉のようだったり、隠れ家のようなところだった。ただ、それらの店には当時の文化が息づいていた。ある種の熱気に満ちていた。僕はそういう店でコーヒー一杯で何時間も粘った。大体において、そういう貧乏学生しか来ない店なのだ。

いつごろからだろうか、僕がコーヒーの味にこだわるようになったのは。たぶん、ドラムのアキヤマがインドネシアのおみやげでくれたトラジャの生豆を自分で炒って飲んでみたところ、あまりのおいしさにびっくりしたときからだと思う。一度本物のコーヒーの味と香りを覚えてしまうと、その辺の喫茶店のコーヒーは飲めなくなってしまう。大体において、「珈琲専門店」とか「自家焙煎」なんて書いてある店ほどまずい。もう最悪といっていいほどまずい。むしろ、なんとなく昔からある駅前の喫茶店なんかの方が飲めるコーヒーを出してたりする。いずれにしろ、おいしいコーヒーが飲める喫茶店に遭遇する確率は心療内科や精神科でいい医者に当たる確率とどっこいどっこいだ。日本の喫茶店の95%ぐらいは一体どうしたらこんなまずいコーヒーが作れるのか、というコーヒーを出す。もうなくなってしまったが、歌舞伎町のコマ劇場裏にあった名曲喫茶、「スカラ座」のコーヒーは悪くなかった。嶽本野ばらが「カフェー小品集」という短編集の中で書いているように、「スカラ座」のウェイトレスをやるというのはある種のステイタスですらあった。ま、客の方はAVの撮影の打ち合わせをしている連中とかそんなのばっかりだったが。

まあそんなわけでアメリカン・コーヒーなんてものは存在そのものが許せない。そもそも、アメリカにはアメリカン・コーヒーなるものは存在しない。あるのはレギュラー・コーヒーとデカフェとエスプレッソぐらいだ。僕が毎年LAでレコーディングしていたころ、べバリーとファウンテンのちょうど中間ぐらいに位置する、「King's Road Cafe」というエスプレッソ・バーがお気に入りだった。その店のコーヒーは日本でいうアメリカン・コーヒーなるものよりもずっと濃かったし、味もあった。アメリカン・コーヒーとラーメンと冷やし中華は日本人が作ったものだ。

もちろん、あなたが想像するように、僕んちには砂糖もミルクもない。当然ながら。僕が飲みたいのはコーヒーなのだから。

written on 15th, jun, 2011

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