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「コンプレックス・ブレイクダウン」

ある休日...

ここのところいろんな意味でヘヴィーなことが続いて、少々まいっていた。そこで、先日の日曜日にとにかく普段やっていることは何もしないで休んでみようと思ったのだった。

何もしないとはいっても、丸一日死体の振りをしているわけにもいかないので、普段やれてないことをしようと、部屋の掃除をすることにした。手始めに猫の額ほどの庭(うちは一階である)に生えた伸び放題の雑草(やたら背が高い)を取り、次に部屋中に掃除機をかけた。僕は子供のころから本気でやれば大概のことは人より上手くやる自信があって、中でも部屋を散らかすことにかけては大抵の人に負けない自信がある。服は脱ぎっぱなし、ビデオやら本やら郵便物やら訳のわからん書類やらがそこらじゅうにきら星の如くちりばめてある。ただ一応念のため言っておくが、もう終わってしまったが以前やっていた「ウォンテッド」という番組に出ていたような、掃き溜めどころか、物が腐ったりカビが生えまくったり、居場所もないと言ったような人にはまるっきり負けるし、第一コンセプトが違う(笑)。僕は不潔なのは基本的に嫌いなのである。単に不精なだけで、未整理なだけだ。なんか、目くそ鼻くそを笑うという気がしないでもないが...。

でもって、掃除に疲れて、コーヒーを一杯飲むことにした。僕は肩も凝るが、元々父親譲りの凝り性で、コーヒーに関しては喫茶店をやってもいいと思っているぐらい凝っている。同じくらいに昔から喫茶店というものが大好きである。なんかこう、感じのいい喫茶店で美味しいコーヒーを飲みながら煙草を喫ったりしてると幸せだったりするのだ。ところでコーヒーは深煎りに限る。もし古くなったり、まずかったりした豆があったら、豆が汗を掻くぐらいにフライパンで煎ってやるとだいぶ美味しくなります。ちなみに今までで一番美味しいと思ったのは、トラジャ地方に出張に行っていた友達にもらった生豆を煎って飲んだとき。現地では道端で1キロ200円とかで売ってるらしいので、一時期本気で輸入しようかと考えた...。

閑話休題。コーヒーを入れながら、なんで喫茶店というのは落ち着くのだろうかと考えた。自分ちとどこが違うのだろうか。と、思い至ったのは、要するに喫茶店のテーブルというのは、余計なものが一切置いてない。せいぜい灰皿ぐらいである。なるほど。というわけで、なんだかんだ余計なものがいろいろ乗っていたテーブルの上を片付けて、大好きなジノ・ヴァネリのアルバム「Slow Love」をデカい音でかけながらコーヒーを飲んだ。そうしてみると、なんと幸せなこと。なんかもう十分である。これ以上いったい何が欲しいというのだろう。オレはここのところ、一体全体何を焦ったり、何を欲しがったり、コンプレックスを抱いたりしていたのだろう?別にこのまま年を取っても構わないではないか。結局はパンドラの箱に詰まっていたような、嫉妬や羨望や劣等感や虚栄といった、何故存在しているかわからないようなものに振りまわされているだけなのだ、などと思えてきた。立って半畳、とも言うではないか。一日に一度、こんな幸せを感じられるだけでも十分幸せではないか、と。宮沢賢治の「雨ニモマケズ...」という詩の意味がようやくわかりかけてきた...。

ところで、僕がどうしてももう一度行ってみたいと思っている喫茶店は、長野県の戸隠スキー場の白樺の森の中にある、紅茶専門店の「チェンバロ」。もう15年近く行っていないので、まだあるのだろうか?ほんとに道もないような森の中にあるので、存在を知らないと気づかないような店だ。なつかしいなあ、もう一度行って紅茶飲んでチェンバロ弾いてみたいなあ...。あとは、ロスのKing’s Road Cafeでデカいカップに入ったエスプレッソ飲みたいなあ...。

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