death

「バンジージャンプ」

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昔々、まだ純情だったころ、こっぴどく裏切られた失恋をして僕は女性不信に陥った。お陰でその後の3年あまり、仕事のかたわらまだタマにバンドをやってたりしたこともあって妙にモテていたにも関わらず、僕は女性の手も握らなかった。その反動かなにかいざ知らず、何時の間にか毎日深夜までスタジオに篭る仕事になっていた頃に、テレクラなるものが出来て仕事仲間の間で大ブレイクした。何しろ毎日夜中の2時3時に仕事が終わると云う生活だったから世間の人と接する機会などほとんど無い。24時間やっていると云うこの奇妙な(風俗と云うより)コミュニケーションのメディアは、当時の僕らにはうってつけだったのだ。当然人よりも気付くのが遅れていた僕は、仕事仲間にまだ行ったことがないのかと散々馬鹿にされた挙句、スタジオの帰りにマニピュレーターの友達と風栄法施行前の歌舞伎町へと繰り出した。最近でこそ諸悪の根源とか、ガキの援公の巣窟と云った、まるでかつての香港のクーロンのような極悪な場所としてのイメージがすっかり定着してしまったが、当時のテレクラと云うもの、まだ男も女も双方なんだかよくわからず、単なる好奇心と下心の接点であった。もう少しよく云えばまだ新鮮だったのだ。そしてちょっぴり希望もあった。

そこで僕はOさんと知り合った。彼女は人妻だった。それで僕は何年かぶりのキスとセックスをして、初めてラブホテルと云うところにも行った。僕にしてみれば恐らく最初の火遊びと云ったところだったのだろう。しかし、彼女は喫茶店で突然泣き出したりするので僕は困惑した。半年後に僕が高円寺から引っ越すと、彼女ともそれっきりになった。

彼女の左手にはためらい傷があった。僕が恐る恐る訊いてみると、確か中学生のときと高校生のときに何度か切ったことがあると云う。彼女は平然と話すので僕はちょっと怖くなった。たぶん彼女は切るときも平気な顔をしてやるのだろう。

何気なしに飛んだサイトで、自殺を試みたばかりの日記を読んでしまった。それで僕はOさんを思い出したのだ。

人のことをとやかく云うものでは無いし、ましてや僕は自殺を試みた彼女のことをほとんど何も知らない。どんな理由があったのか、どこまで追い詰められたのかは本人しか知る由も無い。僕はただ上っ面をなぞっただけの傍観者だ。せいぜい日記を数週間さかのぼって読んでみた程度だ。だからうかつなことを書けば、僕より遥かに彼女のことを知っていて理解して愛着を抱いている人たちの不興を買うのは明らかだ。だからちょっとずるいのだけれど、ここは敢えて一般論だと逃げることにしよう。

そりゃあ僕だって死んでしまいたいと呟いたり、死にたくなるぐらい追い詰められることは何度もある。でも僕はそれを実行に移さない。何故なら、それは決して僕が御立派な人間だと云うわけじゃ無くて、僕は死ぬことが死ぬほど怖いから。ただ、そんな僕がちらと思ったのは、それを実行に移してしまう人は、ちょいと自分や世の中を買いかぶり過ぎてちゃいないか、と云うことだ。僕が云いたかったのはホントはこれだけだ。

僕には彼女達の中に過剰な自己愛が見えてしまうのだ。僕は命を粗末にするなと云うほどオッサンでは無いし、死ねば、と云うほどクールでも無い。ただ、どうせ死ぬなら糞尿を垂れ流したり、白目を剥いたりするような見苦しい死に方じゃなくて、せめて象みたいに誰にも知られずに姿を消すような粋な死に方をして欲しい。人に迷惑かけないような。でもね、たぶん死のうと必死になるのは、それだけ生きることに拘っていることでもあるのだ。見苦しくどたばたと死のうとしてしまうのは、それだけ見苦しくどたばたと生きようとしていることだ。むかしOさんの手首にある何本もの線を見て僕はそう思った。

人のことを書くと嫌な気分になる。どうせ後で嫌というほど後悔してしまうのだろう。だったら何故書いてしまうのか。自分の文章だって、時には嫌らしいほどの自己愛に満ちているくせに。

確か全共闘真っ盛りの時代のころ、中学生のころにある男の手記を読んだ。一通り読み終わって結局コイツは自分の女が自分の為に自殺したと云うことを長々と自慢してるだけのヒモじゃないか、と思って胸糞が悪くなった。そんなことを思い出してまた気分が悪くなった。

つまるところ、僕は誰にも負けたくないのだ。特に自分には。いかに生くるべきか。そしていかに死ぬべきか。

もうこの辺にしとこう。死ぬ話などもううんざりだ。しかし、どうして飛べるんだ?

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