drug

「薬」

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僕が薬を飲み始めてから、かれこれ5年ぐらい経つだろうか。薬というのは、心療内科が処方する、向精神薬(抗鬱剤、安定剤)および睡眠薬のことである。飲み始めた当初はそれこそ切迫した事情があった。病気だったのである。薬というものは病気を治療するために飲む。ごく当たり前のことである。しかしながら、現在の僕が病気かというと、どうも自信がない。自信がないという言い方も妙な言い方だが、いったい医者自身もいまだに僕が病気であると診断しているのかどうかも定かでない。もちろん、必要があって処方しているには違いないだろうが、ここ最近は医者に報告するようなこともなくて、なにを話したらいいかむしろ苦労する。素直に考えれば、心の病というのはそれだけ治療に時間がかかるということなのだろうか。

ときおり、もしかしたら僕は薬の中毒になっているのではないかと思う。少なくとも依存しているのではないかと。例えば、寝るときには必ず睡眠薬を飲んで寝ている。もはやそれは習慣となっていて、特に疑問も持たず、眠くなかろうが、眠かろうが、必ず飲んでしまう。以前、ネットで知り合った作家に睡眠薬はやめた方がいい、と忠告されたのだが。これはもはや依存ではないか。

依存しているのは睡眠薬だけではない。当初からずっと処方されて飲んでいる薬にスルピリドという薬がある。これは元々潰瘍の修復用に開発された薬で、後に抗鬱作用があることがわかった薬である。僕はストレスから胃潰瘍になった(それも二度三度)経緯があるので、この薬だけはいまだに毎日2回か3回は飲むようにしている。困ったことにこの薬には副作用があって、性欲減退を引き起こす。5年も飲んでいるとその効果は絶大で、お陰でいまや僕は修道士の如く性欲がない。一時は随分それに悩み、服用をやめたことがあったが、その途端に胃潰瘍が復活してしまったので、また再開した。結局のところ、僕は、というか少なくとも僕の胃は、この薬に守られている。

要するに僕の病気(というか治療を受けている所以)はストレスにあるのだけれど、考えてみればストレスを感じない人などいないわけで、僕が特別にストレスに弱いのかというと、それも定かではない。ただ、一時期、それこそ花粉症のようにある限度を超えてしまったのである。一般的に言われる鬱の大半はこのストレスを和らげる脳内物質(セロトニンとか)の分泌異常なので、薬による治療でわりと簡単に改善されることが多い。僕の場合は二十年以上前からパニック障害も抱えていた(ずっと気づかないでいたのだけれど)ので、薬は必要といえば必要であったのだ。

僕はストレスから身を守るために薬を飲んでいる。しかし、やっぱりこれは依存である。そんなことを言えば煙草だって立派な依存、中毒であるが、同じ依存でも薬となると話はややこしくなる。薬がないと僕は必要以上にストレスに悩まされ、人生の一部を無為に過ごしてしまうはめになる。おまけに潰瘍で苦しむことにもなる。しかし、かといって薬なしで生きられないというわけではない。考えようによっては一杯のコーヒーみたいなものである。なければないでやれないこともない。しかし考えてみよう。一杯のコーヒーに救われることは随分あるではないか。つまり、一種の解放である。僕は鬱やストレスや潰瘍という呪縛から自らを解放するために薬を飲んでいる。しかしながら、ここまで依存してしまうと、いったい薬と自分の関係というものがわからなくなってくる。実際のところは薬に呪縛されているのではないか、といった具合に。いったいいつになったら薬から解放されるのだろうか。いつになったら医者がもう来なくていいです、と言ってくれるのだろうか。でもいいじゃん、なんて思うのだった。考えてみれば、僕らはそれこそ数限りないものに呪縛されているのだ。そして、あるときはその呪縛そのものを楽しみ、またあるときはそこから解放されることを切に願う。結局、人生なんてそんなもんじゃないだろうか。

written on 16th, feb, 2005

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