fall

「堕ちる」

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気がつくと、もうすぐ社会復帰をして一ヶ月が経とうとしている。感覚的にはその何倍かに感じられる。それは急激な環境の変化ということもそうだが、久々に会社というものに通ってみると、一週間の大半、というよりもほとんどの時間を会社で過ごしている感覚だ。つまり、プライヴェートな時間が著しく少ない。それはごく当たり前のことであり、考えてみれば業界が現在のような不況に陥る前、社員ディレクターをやっていた頃の僕はもっともっとプライヴェートな時間が少なかった。それでも当時はそんなに気にならなかったということは、ひとつは仕事をするということがそういうものであると思っていたこと、ひとつは少ないプライヴェートな時間の中で強引に遊びまくっていたということだ。要するにそれだけ若かった。

まあ、今そんなことを言ってもしょうがない。とにかく、世間に背を向けていたこの三年間というもの、すべてがプライヴェートな時間というか、宙に浮いたような時間だったわけで、そういう生活が一度身に沁みついた人間にとって、一日の大半を拘束されるということは、それはそれは大きなことなのだった。この環境の変化は一見、懲役を何年か食らった人間が出所して社会復帰するのにどこか似ているが、自分自身の感覚的には逆の印象を持つという、一種のパラドックスだ。

最近読み耽っていた車谷長吉も、期間の差(彼は九年間)こそあれ、同じように人生の中のある時期を社会や世間というものから脱落してしまったという点では僕と共通したものがある。ただ、僕のようにまったく仕事らしい仕事をしなかったというわけではなく、彼の場合は旅館の下足番や料亭の下働きといった仕事をこなしていたわけだが、常に頭のどこかにこびりついている「堕ちた」という感覚、そしてそれに浸りきってしまうとある種の諦観に至ってしまうというところは僕とさほど変わらないように思える。

今の僕が果たしてそこから出口に辿り着いたのかどうかはまだ分からない。現に今でも僕の頭の隅には常に「堕ちた」という思いがこびりついたままだ。実際、今の会社にしても入ったばかりで社運を賭けるような時期にぶつかってしまい、土曜の今日も睡眠不足のまま午後から会社に出た。十年前と比べると、依然僕は「堕ちた」ままだ。しかし、つい一ヶ月前までの、漠とした不安に苛まれ続けた、空を手探りしているような頃に比べれば、いくばくかは這い上がったような気もする。いずれにしても時間が過ぎなければ分からない。振り返ってみると、人生の中には劇的な瞬間というものは確かに存在するのだ。

written on 7th, apr, 2002

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