最近、うつ病が酷くなってからここの更新頻度が落ちたが、最近書いたものほど、陰鬱でさぞかしつまらないものだろうな、と思って読み返してみたところ、そうでもなかった。案外と面白い。しかも、名文ですらある(ウソ)。確かに陰鬱ではあるのだが、なんで面白いと思うのかというと、やはり自分自身には興味があるからなのだった。いくらうつ病でいろんなものに興味を失ったとは言っても、さすがに自分自身に興味を失ったら人間お終いだ。さて、デブである。なんでこの前置きでデブなのかというと、僕が思うに、デブという人種は自分自身に対する興味のほとんどを放棄している人間だと思うからである。自分がどう見られるか、どういう存在であるのか、という点を彼らは見過ごしている。というか、そうせざるを得ないのかもしれない。何故なら、痩せられないから。
先日、「人が肥えていようが、関係ないじゃん」というコメントを頂戴した。ご存知のように、僕はデブに対して非常に辛辣である。このコメントを書いた人は、「関係ないじゃん」の裏に、そこまで書くことはない、というメッセージを発しているのである。つまり、この人は、「デブ=マイノリティ=弱者」的ないささか早計な概念を持っているのであろう。まず、デブが果たしてマイノリティであるのか、という点を考えてみると、明らかに以前に比べるとデブの数は増殖している。アメリカに近づいている。アメリカではデブはマイノリティどころか、デブじゃない人間を探すのに苦労する。要するに、日本ではデブはトキやコウノトリのように絶滅寸前なわけではなく、それどころかじわじわと増えているのである。そのことはメタボリック・シンドロームなどが話題になることからも明らかだ。今や、デブよりもカブトムシやクワガタの方がよっぽど珍しい。
よしんば、デブがマイノリティであるとしよう。それでは、果たして「マイノリティ=弱者」なのか。答えは否、である。部落解放同盟を見よ。あれが果たして弱者であろうか。物凄い圧力団体ではないか。アルカイダを始めとするテロリストは弱者か? 結局、「マイノリティ=弱者」というのは、グリーンピース的な短絡的思考であり、既に時代遅れの考え方なのである。
なんかちょっとやばいこと書いちゃったかなあとか思いつつ、話を先に進めると、前回も書いたように、僕はデブに対して偏見も先入観も持っている。この前回の「デブ論」をいつ書いたのかなあと思って探してみると(結構苦労した)、2001年である。随分前だなあ。それはともかく、かつて、「デブ論」で検索して僕のサイトに辿り着いたという奇特な人がいたが、その前回でも定義したように、僕の考えるデブとはちょっと太っている人、とかとは異なる。つまり、上下左右前後、誰が見ても明らかなデブ、これが僕の言うデブである。ここを間違えないで欲しい。具体的に言えば、体脂肪率が……うーん、分からん、まあよい、とにかく、ウエストが1m以上ある人、潔く諦めなさい。あなたはデブである。人間ではない。あなたは人間とは別のカテゴリーに属している。
デブはとにかく食う。牛のように飲み、馬のように食う。河馬のように、ゾウアザラシのように、鯨のように、灰色熊のように、ピラニアのように、タスマニアデビルのように、燃費の悪いアメ車のように、アリクイのように、フンコロガシのように、ミミズのように、アリのように、躁病の猿のように、気の狂ったワニのように、カラスのように、鳩のように、バッタの大群のように、大宮公園の鯉のように……とにかく、食う。コーラはリットル単位で飲むし、サラダバーなどを見つけようものなら、恥も外聞もなく永遠とも思われるほど往復する。小学生のときから昼食にカツ丼などを食する。スーパーで食料品を腰が抜けるほど買い込む。ガンガンに冷房の効いたマクドナルドで額から汗を流しながら、ビッグマックを一口で食べる。牛なら一頭食べる。馬でも一頭食べる。羊なら二頭食べる。(←多少誇張あり)
まあとにかく、唖然とするほど食べるし、飲むのだ。それで、ある程度歳を重ねると、お定まりのように糖尿病になる。当人はまるで勲章でももらったかのように自慢げにそれを語る。もう人間を放棄しているとしか言えない。あ、間違えた、デブを人間と同じだと思ってしまった。俺が迂闊だった。ともあれ、デブ→糖尿病というのは、電車の行き先のようにお定まりのコースである。彼らはそれでも食う。とどまるところを知らない。恐るべし。いったい、デブのエンゲル係数はいかほどなのだろうか? 考えるだに恐ろしい。あれほどの皮下脂肪、内臓脂肪を二重の鎧のように身につけ、とどまるところなく食い続けるデブ。恐ろしいことに彼らは場所まで食うのだ。もうこうなるとホラーである。7人がけの座席を6人がけにしてしまう。果ては、死体になってからまで場所を食う。果たして、通常サイズの棺桶に、デブの死体が入るのであろうか? しかも、彼らには首というものがないのだ。そこには顎というものしかない。まさに、ジョージ・アルフォンソ・ロメロの世界である。
ふう。ああ、怖かった。まあいいや、とにかく、もう一度言う。
悔い改めよ。
written on 13th, sep, 2007