ようやっと宮部みゆきの「模倣犯」を読み終わった。いや、長かった、マジで。
普通に考えてみると、人間の時間の感覚と云うものは、年を取るに連れて短くなる筈で、子供の頃は一日がやたら長くていろんなことを待ちきれず、年を取れば気が長くなる、と云うのが普通の筈である。ところがどうしたものか、僕の場合は、見かけだけは順調に年を取ってはいるのだが、最近になってどうもいろんなことが待ちきれないと云うか、辛抱が出来なくなってきた。例えば映画も不精者の僕はほとんどビデオで見る(放映されたものも録画してから見ることが多い)のだが、すんなり最後まで通して見ることがなかなか出来なくなった。途中で一旦止めて、トイレに行ったり、コーヒーを淹れたり、果ては途中で中断して続きを数日後に見たり。
読書に関しても同じことが云えて、先日書いたようにウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」は中途で業を煮やして投げ出してしまったし、今回の「模倣犯」も、途中で残りのページ数を考えてはうんざりすることしきり。これはどうも、冷静に考えてみると集中力の欠如にあるようだ。つまり、集中力が持続しなくなっているのである。スタミナの問題である。結局は体力とか、新陳代謝とか、そんなところにも原因があるのだろう。そう考えると、これも一種の老化なわけで、むべなるかな、ってところか。いずれにしても情けない限りである。
さて、話を「模倣犯」に戻すと、これは何も僕の集中力のスタミナの問題だけではなさそうだ。読み終わって思うのは、やはり、果たしてこの話を書くのに、3500枚という枚数が果たして必要だったのだろうか、と云うことだ。宮部のよさと云うのは、ひとつは分かりやすさと云うものだと思うのだが、思うに、技巧の巧さと云ったところはもちろん彼女の特徴のひとつではあるが、しかしながら必ずしも彼女に必要なものではない。前作(でもないか)の「理由」が個人的にいまひとつ気に入らなかったのは、その技巧に走った部分が多分に感じられたからなのだが、今回の「模倣犯」に於いても技巧がどんどん枚数を増やしてしまった、という感も免れない。
まあ、簡単に云うと、登場人物が多過ぎて、しかもほとんど全ての登場人物について背景に至るまで綿密にエピソードを用意して記述してあるので、もうエピソードのテンコ盛りである。従って、ストーリーのスピードがない。って云うか、読むこと多過ぎて中々前に進まない。これだけ描き込んで行く技巧と云うのもたいしたものだが、逆に云うと果たしてそれらは全て必要だったか? 読み終わるとそれらが確かに有機的に作用していて巧いなあと思わせるし、そこそこ面白かった。しかし、やっぱり無駄と思えるエピソードも多いし、結末で得られるカタルシスもこの枚数を考えると物足りない。恐らくそれはあらゆる角度から書いてしまったが故に、途中から結末がある程度予想出来てしまうので、ある種の予定調和に向かってしまうからである。
ま、どっちにしても僕は個人的には近道を行きたいタイプなのね。これだけの枚数で、しかも終わりに近付くに連れて怒涛のようにスピードアップする、というものが出来たら、そりゃ凄いなあと思うのだが。贅沢かしら。
written at 14th, jun, 2001