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アサギについて書こうと思う。

アサギは僕の初恋の人である。幼稚園から小学校に上がって、僕が生まれて初めて異性として意識して、そしてほのかな恋心を抱いたのがアサギだ。紆余曲折を経て、高校時代にアサギと付き合うことになった。結果的に、これが生まれて初めて女の子と付き合ったことになる。

その辺の大まかなところは「自伝(前編)」に書いてある。

よく分からないのは、どうやって僕がアサギと付き合い始めたかというところだ。極度にシャイな少年であった僕が自分から口説くとは到底思えず、僕よりもさらに引っ込み思案なアサギの方から交際を申し込んだとはさらに思えない。その、生まれて初めて女の子と付き合い始めるという実に偉大な瞬間を僕は覚えていない。なんということだろう。そもそも脳内の海馬の記憶というのは、プライオリティ、つまり優先順位をつけて重要度の高いものほど記憶しているはずだ。この記憶がないというのはまったく理解できないし謎だ。一体僕はいつどこで、どうやってアサギを口説いたのだろうか。

僕とアサギとの記憶は、数度の喫茶店でのデートを除けば、ほとんどが一緒にバスで帰った記憶だ。だからたまたま帰りのバスで一緒になったときに隣に座って云々ということは十分に考えられる。考えられるが、これはあくまでも蓋然性の話だ。自然消滅というのはごくありふれた話だが、何の告白もなしに自然に付き合い始めるということはあるのだろうか。

僕らは同じ高校に通っていたわけではない。僕が通っていたのは山形東高校という男子がほとんど(女子はクラスに数人)という進学校で、アサギが通っていたのは女子がほとんど(女子高と言ってもいい)の山形北高校だった。山形北高校は東高から徒歩数分でほぼ隣と言ってもよく、僕の父が当時は教師として勤めていた。なので往きは出勤する父の車に一緒に乗せて行ってもらって学校に通っていた。帰りは電車で帰るか、バスで帰るかのどちらかだった。特に冬場はバスで帰る方が多かったと思う。

大体において、いつごろ僕はアサギと付き合い始めたのか。たぶん3年になってから、それも後半だと思う。というのも、僕は同級生に誘われてクラシック・ギターをエレキ・ギターに持ち替えて3年の秋の文化祭までハードロックのバンドをやっていたからだ。バンドを始めてから僕は異様にモテて、北高に僕のファンクラブのようなものが出来た。北高の女子と市内の喫茶店で合コンのようなものをやったりしたのはたぶん文化祭の後だ。その後僕は北高の副会長と電話で連絡を取り合うようになり、付き合う寸前ぐらいまでいった。あ、いや、それはファンクラブが出来る前だったかな。いずれにしても、高校3年の秋の文化祭まではアサギと付き合っているはずはなく、そうしてみると僕とアサギが付き合っていたのは自分が覚えているよりもずっと短い期間だということになる。論理的に考えれば、受験も押し迫った冬から受験に至るまでのごく短い間だったのだと思う。

何故僕らが自然消滅したかはなんとなく分かる。僕が都心の大学に行くことを決めたのに対して、アサギは神奈川県にあるフェリス女学院大に行くと決めたからだ。まだ東京に行ったことのなかった僕には、神奈川県と東京では付き合うのに遠すぎると思えたのだ。今考えるとなんとも浅はかというか、世間知らずであったように思えるが。とにかく僕が上智、アサギがフェリスと進学先が決まってから、僕らはいつの間にか会うこともなくなり、自然消滅した。

アサギがどうしてもミッション系のフェリスに行くと言い張ったのはよく分かる。彼女はキリスト教、正確に言えば聖書に物凄く入れ込んでいたから。一緒に帰るバスの中で、僕は盛んにアサギから聖書を読むように勧められた。特にパリサイ人のところを読めと。僕は何度もパリサイ人のところを読み返した。しかし、何度読んでもキリストはパリサイ人を不当に悪と決めつけているようにとしか思えなかった。つまり、ある種の差別だ。今手元に聖書がないから、もしかしたら僕の読み違いだったのだろうか。いずれにせよ、彼女が何を言わんとしてここを読めと言っていたのか、僕にはついに分からずじまいだった。

少々ピンぼけの、セーラー服のアサギの写真をいまだに持っている。アサギからもらったものだ。歩きながらちょっとこちらを向いているその写真のアサギは、にっこり笑っているわけでもなく、少々不機嫌そうに見えないこともない。世間一般でいう美人ではないし、今風の可愛い女の子というわけでもない。どちらかというと地味で控えめな子だった。

去年父が亡くなったときの香典をエクセルにまとめていたところ、父の葬儀にアサギの弟が参列してくれていたことが分かった。アサギの家は醤油屋を営んでいて、今は彼女の弟が継いでいる。彼女の弟の名前と顔は知っているがほとんど面識がなく、したがって今アサギがどこで何をしているのか訊ねることは出来かねる。たぶん、どこかでいい奥さん、いい母親になっているのだと思う。だからアサギはもうアサギではないんだと思う。

もうすっかり容貌も変わったであろう現在のアサギにときどき無性に会いたくなる。そして、あのときどっちが言いだして付き合ったのか、聞いてみたくなる。

最後にアサギに会ってからもう途方もない年月が経っている。アサギはすっかり歳を取り、容色も衰えているだろう。しかし、彼女のどこかはかなくて奥ゆかしく、少し寂しげな顔の方向性は変わってないだろう。僕は彼女の顔の方向性が好きだった。一緒にバスで帰ると、隣り合って座っているのに窓際の席のアサギはいつも窓の外を向いていて、どこか上の空のような表情を浮かべていた。彼女はいつも、ほんのちょっと届かないところにいるような感じが常にした。僕が結局彼女を諦めたのも、その感じのせいだと思う。彼女がその情熱を傾けていたのは、唯一聖書だけだった。少なくとも高校生のころは。

そんなアサギが僕の方に身体を寄せて、僕らの身体がほんのちょっと触れ合ったときの感触をいまだに覚えている。なにしろ、そのときの僕は世界で一番幸せな気がしたから。

結局僕らはキスすらすることがなかった。僕らはただの田舎の純情な高校生に過ぎなかった。僕は小学校のころから声もかけられずに遠くの方からずっとアサギを見ていた。驚くべきことに、いまでもなんかそんな気分なのである。

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