2014

毎年年末にはその年を回顧しているので今年も試みる。2014年はどういう年だったろうか。

実を言うと、今年はさして書くことがない。去年はあまりにもいろんな(悲惨な)ことばかりあった激動の年だったけれど、今年に限って言えばなんとなく一年が過ぎてしまったという感は否めない。ほんの数行で済んでしまう。

1)母が病院から特別養護老人ホームに移った。

2)3月から相場(FX)を始めた。

3)死を意識するようになった。

もうこれだけなのだ。それに敢えて付け加えるとすれば、

4)I泉さんとヤマザキにはとうとう連絡が取れなかった。

ということぐらいであり、これはさしたる意味があるとは思えないが、暗に僕が徐々にかつての友人たちを失いつつあるということを象徴しているのかもしれない。

1)に関しては、僕自身の行動でいえば毎日通うところが病院から老人ホームに変わったというだけなのだが、母当人にとっては極めて重要な変化である。しょうがないこととはいえ、母はその人生を老人ホームで終えることを余儀なくされた。特養に移すに当たっては、病院で過ごすよりは環境がいいのではないかという苦渋の決断だったが、考えてみればすべては僕のせいであるような気がして、母が可哀想だし申し訳ない気持ちしかない。すべては父が喉を詰まらせたのを目の前で目撃してしまった母が統合失調症を発病してしまったことに端を発しているのだが、その母の病気に対して僕はあまりにも我慢が足りず、的確な対応が出来なかった。そのことが、一年前までは(体力的には)普通に生活出来ていた母を結果的に老人ホームに追いやることになってしまった。この二年あまりで母はまるで別人のように老いて、変わってしまった。それが僕のせいであるような気がしてならない。まるで石でも飲んだような後悔となって僕の胃の辺りを重くする。僕が母に出来ることはただひたすら毎日母のところに通うことだけになってしまった。それは本当にもどかしい。もはや僕には贖罪すら出来ないのかという暗澹とした気持ちにもなる。

2)に関しては以前からやってみようと思っていたことを実行に移したまでだ。正直、現在の(業界の客観的)状況では業務で食っていくことは無理であり、将来的にはさらに状況は悪化するものと思われた。年齢的にも田舎でこれから就職するのも無理があるしそもそも立ち仕事を一日する体力すらない。そういうことを考慮すると出来ることは自ずと限られる。そして、将来生活出来る程度の年金ももらえないということがはっきりした。何か出来ることをやってこれから生活してくしか選択の余地はなかった。

相場を始めて半年は案の定負け続け、プラスに持って行けるようになったのは夏を過ぎた辺りからだった。正直いまだに試行錯誤の段階であり心もとないのは確かだが、どうやら他にこれといった選択肢は見当たらないのでもうやるしかないのである。

3)に関してはここ数か月の話だ。どうして突然死を強く意識するようになったのか、ただ単に当たり前のことにいまさらながら気づいただけのか、それともそういう年齢に差し掛かったということなのかよく分からない。一昨年悪性リンパ腫という癌にかかり、目の前に具体性を持って死というものがあったときよりも、今の方がずっと意識が強いというのは不思議だ。お蔭で、ときおりどうやって生きることに向き合ったらいいのか危うく見失いそうになったりする。ある意味では生きるということの認識が変わりつつある。

簡単に言うと、今年はいろんな意味で試行錯誤して終わってしまったような感がある。去年田舎の実家に引っ越して以来、僕は随分といろんなものを失ったし、今も失い続けているような気がする。日々迷いながら試行錯誤し、答えはいまだに見つからない。まあでも、人生っていうのはそういうものなんじゃないだろうか。僕のこれまでの人生を振り返ると、少なくとも社会人になってからの僕はひたすら愚かだった。僕はただ愚かしい選択をし、愚かしい言動をし、愚かしく生きてきた。論理的に考えればこれからの僕の人生も愚かしいものになるのだろう。そう考えるといささか憂鬱ではある。

来年に関して言えば、ただ失うだけではなく少しでも何か得るものがあればと思う。いささか愚かしい人生であるにせよ。

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