希望という名の絶望と許容 - カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」

これは生の話であり、希望の話であるのだが、それは同時に死の話であり絶望の話である。希望のない世界での希望は読んでいる僕ら(というか僕)にとってはまさしく絶望を違う側面から描いていることに他ならない。ここには「死」という言葉は一言も出て来ず、「使命を終える」という言葉に置き換えられている。主人公たちの置かれている状況は映画「ブレードランナー」のレプリカントの立場にどこか似ているが、そこにはルトガー・ハウアー演じるレプリカントのような運命に対する悲しみや怒りの感情はない。主人公たちは死から目を逸らしているわけではなく、ただ許容している。だからこれはある種救済の物語であり、だからこそそこにあるのは希望であり救いであるはずなのだが、読んでいる僕には救いのない話だった。だから後味もよくなかった。そこにあるのは僕らの世界に於ける絶望の風景だから。

そんなわけだから、平然と人を殺しまくるジェイムズ・エルロイを読んだ後であるにも関わらず、この本を読んでいる間、僕はずっと怖かった。常に死を意識せずにはいられなかった。どこか、人間の死を決定づけるテロメアの存在がずっと感じられた。この救いのない話を淡々と抑制の効いた文章で語ることに果たして人は希望を見出すのだろうか。これを静かな感動と呼ぶのだろうか。

僕には恐ろしい話だった。とても怖い小説だった。だから人には勧められない。死という運命を許容する人々の心の内面を静かに語った小説。それを受け入れている人々の感情の浮き沈み。これは確かに美しい小説なのだが、僕はまだそれを許容するほど人間が出来ていない。僕は物心ついたころから死を極度に恐れ、それが故にパニック障害になった。テロメアという終点をどう受け入れるか、いまだに揺れ動いている。だから、最近は人生というものはただの夢なのだと思うようにしている。一編の夢。長い長い夢。

SF的な非現実の世界に生きる、ある意味非人間として生きることを定められた人々の感情。やっぱりレプリカントの世界だなあと思う。優しくて、とても酷薄な小説。どこかタルコフスキーの一連の映画に通底するものもある。絶望の中に存在する静けさ、というような。



わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

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