田舎暮らし

山形の実家に戻ってもう丸二年が過ぎたのだけれど、いまだに田舎に住んでいるという実感が湧かないのは何故だろうと考える。当初は都心と比べて空がやたらと広いと思っていたが、人間というのは住んでいれば慣れるもので、そのうちそれは当たり前になる。空気がおいしいというのも、人がほとんど歩いていない、夜に店が開いていないとかいった田舎特有のさまざまなことも同様。何しろ遠出したりしないしほとんど家に引き籠っているので、字義通りの田舎暮らしをしているという実感がない。

この町には駅というものがなく、したがって電車に乗るという機会もなく移動はほとんど車だ。そういう意味ではアメリカの田舎みたいなものである。実家に戻って身に沁みて感じるのは歩かなくなったということだ。例えば駅まで10分とか15分とか歩くということがない。徒歩で10分ぐらいのスーパーに買い物に行くのでも車で行ってしまう。冬になれば雪に埋もれてしまうのでなおさらだ。冬は散歩すら出来ない。

まあ大体において、冬じゃなくても本当に歩いている人がいないので、なかなか散歩する気にもなれないのだった。この界隈では、夜に歩いているとむしろ変な人、不審者ということになってしまう。確かに犬を散歩している人はたまに見かけるけれど、それ以外に目的地まで歩くという人を本当に見かけない。子供を除いて。

実家に戻ってきた当初は何もないという印象が強かった。ドトールもないしスタバもない。ちょっと出かけて気晴らしをする店や場所というものもない。少なくとも歩いて行く範囲には。いや、厳密に言えば町の中心部に公園がある。ベンチが点在するだけのだだっ広い公園。しかし、都心における公園とは存在意義が違う。アスファルトとコンクリートの世界で緑の空間を求めるのとは訳が違う。別に公園まで行かなくても自宅の庭や向かいの寺で十分、みたいなところがあり、あまり公園に行く理由が見当たらない。その気になれば20分ぐらい歩けば最上川がある。ちょっと歩けば田圃が広がっているし、自然には事欠かない。僕が欲しいのは都会的な一息つけるところなのだった。

しかしながら、考えてみればちょっと買い物に行くだけでも車を使うのだから、少し車で足を伸ばして隣町まで行けば大概のものはあるのだった。モスバーガーもマクドナルドもガストもサイゼリヤもある。車で20分かければドトールもあるし30分かければスタバもある。だがなんか敢えて行く気がしない。電車に30分乗って渋谷に行くのと車で30分かけるのと大差ないような気もするが、それがそうでもない。つまり、そこには都会の雑踏というものがない。田舎というのはどこまで行っても田舎なのだった。

そもそもこの辺に問題があって、田舎に住んでいるのに都会の雑踏を求めること自体が間違っている。つまり、田舎には田舎の生活がある。田舎という自然豊かな環境で暮らすこと、それこそが田舎暮らしではないか。

要するに僕は少々退屈している。田舎に住むのに慣れれば慣れるほど、田舎が当たり前になればなるほど、都会に戻りたくなってしまうのだった。

かつては逆のことを考えていた。都心に住んでいたころ、たまに実家に帰るとああここで死にたいなどと思ったものだった。2階の自室の、日当たりのいいベッドに寝ているときなどに。それが今ではむしろ都会の雑踏の中で死にたいなどと思う。よく分からない。隣の芝生は青いという奴だろうか。あちら立てればこちら立たず。ないものねだり。

ひとつには田舎暮らしをまだ把握し切れておらず、満喫していないというのもあるだろう。車で20・30分も行けば、人の気配がない森閑とした山間の風景がある。僕はそういうものが大好きだったはずなのだ。

一番大きいのは、田舎暮らしが想像以上に孤独だったことだ。これは想定外のことだった。当初の予定では両親と3人で暮らすはずだった。それが父が倒れて亡くなり、それが原因で母は統合失調症を発症して今は老人ホームにいる。気がつくと結局僕は実家で一人暮らしをしているのである。6LDKの実家は一人暮らしには少々広過ぎる。何しろここに引っ越してくる前はこの家の玄関ぐらいの広さのワンルームに住んでいたのだから。

元々近所付き合いや親戚付き合いは苦手だからほとんどない。母親以外の相手に上手く山形弁でコミュニケーションを取る自信がないので、町内にいる小中学校時代の同級生ともあまりコンタクトを取れない。結局、都心で一人暮らしをしていたときのように、日がなパソコンのディスプレイに向かっている。テレビをほとんど見ないので世の中とはネットで繋がっている感覚。ツイッターでコミュニケーションを取るのはほとんどかつての僕のように都心もしくは都会で生活する人々。あるいは海外で仕事をする友人。自ずと自分が今いる生活空間とはギャップがある。どうやら今の僕はそれをネガティブに捉えており、そのギャップを埋めたいという欲求が生じる。

そんなわけだから、実際のところは冒頭に書いたように田舎暮らしに次第に慣れてすべてが当たり前になってくるのだけれど、気持ちの上ではそれに同化せずに逆に違和感を募らせるという乖離現象が起きる。ということはたぶん、すっかり慣れてしまった部分といつまで経っても慣れないという部分が等分にあるということなんだと思う。

というわけで、田舎暮らしは寂しいです、今のところ。

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