六本木

「六本木」というタイトルで文章をひとつ書こうと思ったら、とてもひとつの文章では収まらないということに気づいた。ここ数日、六本木にまつわるあれやこれやを少しずつ思い出すにつれ、あまりにも多くの思い出がありすぎて、いつまで経ってもいっかなひとつにはまとまらないのだった。

それもそのはず、僕はこれまで7つの会社を渡り歩いてきたけれど、そのうちの3つが六本木だった。なので、かなりの年数を六本木に通っていたわけで、六本木にまつわる誰かを書こうとしてもあまりにも人数が多すぎる。みんなどこかで六本木で交錯する。

考えてみれば初体験の相手であるレミと最後に会ったのも六本木の芋洗坂だった。10年振りぐらいに会って、当時芋洗坂の角にあったアジア料理を出す無国籍料理のレストランに行った(たぶん)のが最後だ。なんで別れてから10年も経ってからレミと会ったのか、記憶が曖昧模糊としてよくわからないのだけれど、坂を下りながら「キスしていい?」と訊いた僕を、例の余裕でかわされたのを覚えている。そもそも別れてから10年後だったのか5年後だったのか15年後だったのか、その辺からして怪しい。彼女は最初に出会った学生のころから、妙に大人びて余裕のある子だった。レミと会うと、自分がいつも子供のように思えた。

グーグルマップを開いて今の六本木を見ると、もう六本木WAVEも東日ビルもテレ朝もなくて、その場所にはどでかく六本木ヒルズがある。防衛庁があったところは東京ミッドタウンなるものに変わっている。六本木ヒルズが出来てから、僕自身はほんの数回しか六本木を訪ねていない。ヒルズの中にあったヤフーを仕事で訪ねただけだ。六本木はすっかり観光地になってしまった。ググってみると、どうやらロアビルやアクシスはまだあるようだ。それとハードロックカフェも。

大学を卒業して最初に勤めた会社(オリコン)は六本木だった。本社は六本木通りの東日ビルの真向かいのビル、僕がいた販売営業のセクションはその並び、テレ朝通りの角、長寿庵の隣のうらぶれたビルの2階だった。そのころからハードロックカフェにはゴリラがしがみついていた。

そういえばオリコンに入る前、まだ就職活動をしていたころに長門大幸に熱心に誘われたビーイングも六本木の交差点近くだった。あまりにも給料が安いので固辞したのだけれど。ビーイングの珈琲は僕が生まれてこの方飲んだ中で一番薄い珈琲だった。そして、六本木のマクドナルドのアイスコーヒーは、僕の人生の中でもっとも不味い珈琲だった。

麻布警察署の向かいにはまだパチンコ屋があって、ヤクザがその入り口で撃たれたりした。六本木は昼食を食べられる店は結構あったのだけれど、日が暮れて夕飯を食べるとなると途端に適当な店が見つからなくなる不思議な街だった。つまり、僕のような貧乏な独り者が食べられるような夕食という意味で。

あまりにも待遇が悪いという理由でビーイングを断ったのに、オリコンは悲しくなるくらい給料が安かった。大卒で初年度の給料は手取り10万もなかった。日本で2番目ぐらいに給料が安いんじゃないかと(一番はもちろんビーイングだ)そのころは本気で思っていた。

この辺の時代のことを詳しく書くと切りがないし、旧fragmentsに自伝として書いてある部分もあるので少しというかかなり端折らなければならない。オリコン時代のことはここに書いてある。

ともあれ、その後雲母社(きららしゃ。松任谷夫妻の事務所。青山の骨董通りの裏手にあった)に移って業界の制作の現場に入ってからも、六本木にはWAVEの中にセディック、六本木ピットインのそばに六本木ソニースタジオ、それ以外にもフォノグラムのスタジオとかワーナーのスタジオとか、レコーディングスタジオが当時はかなりあって、何かとしょっちゅう訪れていた。六本木のスタジオでレコーディングするととにかく出前が高い。叙々苑とか。美味しいことは美味しいのだが。

青山のパイドパイパーハウスがなくなってから、というかレコードがCDにとって代わってからは、もっぱら六本木のWAVEでCDを買っていた。雲母社を辞めてからも、WAVEでCDを見ているとばったりユーミンに再会して一階のレインツリーで珈琲をおごってもらったりした。

雲母社を辞めてから、僕は日吉にあるゲーム会社の光栄(現コーエー)に一年通い、それから市ヶ谷のソニーレコードでディレクターを一年やり、ソニーの契約を切られて移った制作会社がまた六本木だった。それもテレ朝通りの交差点近く、トンネルの手前だ。なんだか一周して元の場所に戻った気分だった。ちょうどオウムの事件の真っ最中で、お蔭で一週間で2度、車をレッカー移動された。

たぶんヒロミに会ったのはそのころだったと思う。もしかすると、制作会社を2つ渡り歩いた(どちらも六本木だった)間のフリーの時期だったかもしれない。その辺は記憶が定かじゃない。

ヒロミと知り合ったのはテレクラだ。そのころの僕はもっぱらテレクラで知り合った子とばかり付き合っていた。単に、電話という手段を介さないと初対面の女の子を口説けなかっただけなのだが。

とにかく僕らは六本木の東日ビルの裏手にある喫茶店で待ち合わせた。ヒロミは三十歳だと聞いていたので、最初は違う女性に危うく声をかけそうになった。ところが、実際会ってみるとヒロミはどうみても二十歳そこそこぐらいにしか見えない童顔の可愛い子だった。不思議な巡りあわせというか、彼女は六本木の交差点のすぐ近くにある会社に勤めていた。初めて喫茶店で会った晩、彼女の会社の駐車場まで送って行って、僕らはそこでキスをした。その前の週にアジア系の外国人が刺殺されたという夜の駐車場はひっそりと静まり返っていた。とにかく、ヒロミは何かと六本木に因縁のある子だったのだ。

彼女はエキセントリックなところがあった。ちょっと前の言い回しでいえば猟奇的といったところだ。見た目は前述のように可愛くて、以前市ヶ谷の喫茶店でウェイトレスをやっていたときにおニャン子クラブのディレクターであった当時キャニオンの渡辺博(僕と同い年)にアイドルにならないかと声をかけられたことがある。砧公園でデートしているところを雲母社の連中に見つかって、僕がアーティストと付き合っているという噂が立った。まあその程度には可愛かった。とにかく童顔で、美人というよりは可愛いタイプ。ちなみに僕自身渡辺博とはおニャン子クラブだなんだとかつて一緒に仕事をしたことがある。奇妙なところで線は繋がっている。

最初に付き合ったころ、とにかくヒロミはパチンコが好きだった。休日に彼女が車でやってくると、僕らは決まってパチンコ屋に行ったものだった。ヒロミは母親と二人で中野の日の当たらない狭い一軒家に住んでいた。ヒロミに今日はどこに行く?と訊ねると、「パ・チンコー!」という答えが返ってきたものだ。

彼女は気分屋なところがあり、僕はそれに散々振り回された。最初のうちはあれほどパチンコと言っていたのに急に自分もやめるからパチンコはやらないで、と言い始める。それはまだわかる。わからないのは、突然ドラマーになりたいと言ってドラムのスティックを買い、ドラムを習い始めたことだ。僕が一番参ったのはこれだった。急にミュージシャンになると言い張って聞かなくなったのだった。だが彼女のリズム感は目を覆いたくなるほど酷かった。しかしながら僕には逆立ちしてもミュージシャンにはなれないよ、と彼女に言う勇気はなかった。

歌いたいから曲を作ってくれと言われた。それで8小節ばかりのモチーフを書いて、ギターで弾いて聞かせると、これいい、と彼女は喜んだ。とにかく急にハイになる。かと思うと突然激怒して帰ってしまったりする。

一度ヒロミと軽井沢のホテルに泊まったことがある。今だから言えるけど、正直言って彼女とのセックスはつまらなかった。三十歳だけれど二十歳ぐらいに見える代わりに幼児体型で大人の女の色艶というものがなかった。妖艶さからは程遠かった。たぶんそれは、彼女自身がそれほどセックスというものを好きじゃなかったからじゃないかと思う。こういうことを言うといかにも男のわがままという風に聞こえるのだろうけど。

ともあれヒロミはミュージシャンになるといって聞かず、僕はその意固地さについていけなかった。そんなに言うんなら、渡辺博に誘われたときにデビューすればよかったのにと思ったりした。

僕らの関係はさほど明確な分岐点もなく一度終わり、しかしながら何しろ会社が近いものだからまたよりを戻し、でもやっぱり僕らはどこかリズムが合わなかった。僕がわがままだったのかそれとも彼女の出鱈目なリズム感についていけなかったのか。最後は、彼女が免許の書き換えに行くのに付き合って欲しいと言われ、僕がそれを断ったことで終わった。

それから数年後、ヒロミの会社に電話してみたことがある。ヒロミはまだあの六本木交差点の裏手のごみごみとした狭い通りにあるビルにいた。そして、例のあっけらかんとした声で「ひっさしぶりー!」と言った。彼女はやっぱりハイだった。

WAVEも、もちろんその中にあったセディックも、六ソ(六本木のソニースタジオ)も、六本木のピットインも、みんななくなってしまった。そして、夜になると怪しいガイジンで溢れていた六本木の街は、なんか騒々しい観光地になってしまった。僕らがキスをしたひっそりと静まり返った夜の駐車場の辺りも、今ではすっかり変わってしまっただろう。

あれから何年経つのだろう? さすがにヒロミはミュージシャンになることは諦めただろうな。僕がいろんなことを諦めたように。

ー追記ー

これを書き終えた後で、このfragmentsにヒロミと題してヒロミのことを既に書いていることに気づいた。なんてこった。すっかり忘れてた。恐るべき記憶力。というわけで以前と同じ話をダブって書いてしまったわけですが、ご容赦を。せっかく書いたのでこれはこれで晒しておきます。

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六本木 への5件のフィードバック

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  2. carmenc のコメント:

    ビーイング、大阪にありますよね。
    オリコンの社長小池さんは以前ワリと近い所に住んでらしていて、たまにお見かけしました。
    ミッドタウンが加わって、観光地になっちゃったんですね。
    昔の雰囲気が好きだったなあ… なんか違うんですよね
    ピットインも誠至堂も無くなったし、よくシオツボで買物してたけど、5〜6年程前お店は残っていたように思いますが、明治屋のビルは無いのかな?
    昔ロアビルだったか1Fにサンバの店がありましたよね。数回行ったけどパーカッションが見事でその音がたまらなかったです〜
    ロアビルにあったTOPSのカレー、時々食べたくなります。赤坂にはまだあるのでしょうけど、今はTOPSと言えばチョコレートケーキばかりになってます。

  3. Sukeza のコメント:

    >carmencさん

    長門大幸は不動産絡みでヤクザに追われて行方をくらましたっていう噂が業界内で一時期出回ったんですが、ウィキペディアを見るとどうやらガセネタだったようです。

    小池聰行の方ですか? だとすると確かチョウフの辺りでしたよね? 一度行ったことがあります。なんで行ったんだろう? たぶん、息子(現社長)と草野球をやったときだと思いますが。

    後年、着メロのプロデューサーをやってたときにヘッドハンティングの話が来て、それがオリコンだったという笑い話もあります。

    TOPSのカレーといえばドライカレーですよね? 当時から高くて、領収書で落とせるときしか食べたことがありません(笑)。

  4. carmenc のコメント:

    普通のカレーライスです。ちょっとホテル洋食屋さんの味に近い味で、ライスにはレーズンが入っていてバターライスだったと思います。ココナッツが上にトッピングしてあって、それも良かったです。OL時代に二回程TBSの方に、結婚してロアビルへ一度かな?
    安くはないけど、若いときに行けたということから、そんなに高くはなかったと思いますが、勤務中の毎日のランチには高いかもしれないですね。

    辞めた会社にヘッドハンティングですか?
    笑っちゃいますね

    • Sukeza のコメント:

      >camencさん

      僕の周りではドライカレーが人気でした。ドライカレーといっても普通のドライカレーじゃなくて、キーマカレーに近かったですね。スタジオに入ってるときにテイクアウトで食べたりしました。一人で店内で食べたことはたぶんなかったような気が……あったのかな?。

      俺、店を勘違いしてるのかな?

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