初老の世界

童顔というわけではないのだが、昔から何故か歳よりも若く見られた。そのせいで業界にいたときは初対面の人に若造と見られて随分舐められたものである。30歳そこそこのときにLAでCDを買おうとしてアメリカンエキスプレスのゴールドカードをレジで出したら、不審に思われてNYの本社に問い合わせをされたりした。田舎の実家に戻ってきたときは既に53歳になっていたが、その年の暮れに警察に逮捕され、拘置中に40歳ぐらいの刑事に取り調べを受けた。彼がいうには、「高山さんは僕と並んで歩いたら同い歳ぐらいに見えますよ」というのである。もっともその刑事は頭が薄くなっていてちょっと老けた40歳ではあったが。

そんな風に、自分はいくつになっても歳よりも若く見られるのだと薄ぼんやりと思っていた。そしてそれはいつまで経ってもそうなのだと思っていた。まるで未来永劫続くように。

薄暗い洗面所の鏡に映る自分はそれほど変わっていない印象を受けるのだが、iPhoneで自撮りをしようとするとディスプレイに映し出された自分の顔のディテイルに唖然とするのである。まるで隈のような目の下のたるみ、張りのない老化した肌。そこに映っているのは紛れもない57歳の貧相な初老の男の顔だ。

そもそも初老とはいくつぐらいを指すのか、ググってみた。すると、人生五十年だった昔(つまり江戸時代ぐらいまで)は40歳からはもう初老だったらしい。では現在はというと、アンケートの結果によると一番多い回答が57歳だった。つまりごくごく一般的な平均的な感覚に於いても、現在の自分はピンポイントで初老なのだった。初老真っ只中。

それはしょうがない。誰でも途中で死ななければいつかは57歳になる。問題は、今の僕が普通に57歳に見えてしまうということだ。いや、そもそも57歳というデータだけで既に問題なのかもしれない。

実際のところ、50歳ぐらいまではなんてことはない。まだ中年と言い張ることは出来る。現実に僕は50歳ごろにミクシィでストライクゾーンが50歳という女性と出会って寝た。52・3ぐらいまでは平気かもしれない。まだいろんな意味で可能性は残されている。ティム・オブライエンの「世界のすべての七月」では、53歳の主人公が同窓会で同級生と再会してロマンスに繋がっている。つまり、53歳だったら同級生でもぎりぎりセーフなのだ。

しかし50代も後半になるともうダメだ。言い訳がきかない。前述のように世間の見る目は一斉に初老となっているのである。こうなるともうあとは老人めがけてまっしぐら、というわけだ。

現実問題として、ティム・オブライエンの小説みたいに53歳で同級生と恋愛というのはもう辛いと思う。50歳ぐらいがぎりぎりか、それも石田ゆり子みたいな若々しいアラフィフがいれば、というたらればの世界だ。

と、ここまでなんだかんだ書いているのは主に恋愛に関してである。それは僕がいい年こいてまだ独身であるからであって、世間一般の57歳、初老の人たちはまったく違うライフスタイルにあるのだろう。フェイスブックなんか見ても皆年相応に伴侶家族を持って、それなりの余裕で毎日を過ごし、ある意味そのまま老後に突入してもオッケーなように見える。

俺とキーボードのヤマザキだけが孤独と老後の不安に苛まれているんだ。

とも言える。

しかしながらちょっと不思議なのは皆一斉に年を取っているということであって、それがなかなか自分の中で腑に落ちない。レミやケイやナオミも57歳になっているということであり、ジュンコは58歳になっているということだ。それがどうにもピンと来ない。かつて付き合った女の子たちが女の子ではなくなり孫がいるかもしれない初老の女になっているということが。

彼女たちはとっくに僕から見た恋愛対象ではなくなり、まるで違う存在としてそれなりに歳相応の人間として在るのだ。つまり、僕らのスタンスはすっかり変わってしまった。僕ら個人同士の関係性だけではなく人生に於けるスタンスが。

それが57歳ということであり初老であるということなのか。それが初老の世界なのか。

僕にはすんなりとそれが皮膚感覚として理解できない。確かに最近は滅法忘れっぽくなって人の名前とかが出て来なくなったが、それでも精神構造や思考回路自体は20代30代のころとほとんど変わってないように思える。ただ見た目とか記憶力とかが劣化しただけで。

ああそういうことか。

つまり、前述の50歳までは大丈夫だが50代後半になるとダメ、っていうのは、50歳までだったら年を取ることが熟することともいえるのだけれど、50代後半になって初老に突入すると、年を取るということはすなわち劣化するということなのだった。

つまり僕はあとはひたすら劣化するだけなのだ。どうりで毎日憂鬱だと思った。

それはつまりスペックの劣化でもある。年齢の欄に57歳と書くだけで、ほとんどの可能性は失われてしまうのだ。他の多くの同級生のように地道に働き続けて普通に引退後の老後を楽しもうと思っている人たちと対極のところに僕とヤマザキは居る。僕とヤマザキは食っていけるだけの年金をもらえないし(ヤマザキはゼロ)、それなりの貯蓄があるわけでもなく、この歳になっていまだに日銭を稼ぐある意味ギャンブラーとして生きている。こと出会いということに関して言えば、そのスペックの時点で既にアウトなのだった。恵比寿のウェスティンホテルでジャズピアノを弾くヤマザキだったら間違って「あ、カッコいい」と思われる可能性はまだあるかもしれない。一方、山形の片田舎に引っ込んでろくに近所付き合いもせずほぼ家に籠っている僕には、あらゆる意味で可能性がない。もう相場で億の金を稼ぎ出すか、小説を書いて芥川賞でも取るしか道はない。

なんという人生。なんという孤独。

ま、実際のところこれが初老の世界だ。ただひたすら劣化していく人生。だからこそ、ネットにしろなんにしろ、メディアの中で劣化とは逆に輝いていくものを追い求める。僕の場合、それがサッカーだったりする。もう自分の中に夢を見ることはなく、他者の中に夢を見る。

にもかかわらず、相変わらず僕は目を血走らせてチャートを見て清水の舞台から飛び降りるつもりで相場のポジションを取り、ときどき台所で買ったばかりのアンプに繋いでギターを弾いたりする。

まあなんていうか、何かと諦めがつかないんだ。今日も煙草を吸うたびに手帳に時刻を書いて本数を数える。人生なんて、こんなことをして一体何になるんだの繰り返しだ。

寝ている間しか夢を見ない。悲しくなるから。

あと2時間ほどで紅白が始まり、それで今年も終わる。だが驚いたことに僕の人生はまだ続く。たぶん。そしてそれが初老の世界にも未来があるということなのかもしれない。

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