一服

高校生のころから煙草を吸い始めて、去年(正確には一昨年の年末から)4ヶ月だけ禁煙した。4ヶ月だけとは言うものの、生まれて初めての禁煙だからある意味奇跡に近い大成功、そのままやめていればなんていうことはなかったのだが、結局母の統合失調症が悪化したときにうつが極度に酷くなってしまい、ストレスからまた煙草を吸い始めてしまった。

そもそも僕はなんで煙草を吸い始めたのだろうか。たぶん父がヘビースモーカーだったせいだろう。生まれて初めて煙草を吸ったのは高校のときのテニス部の合宿だった。もちろん最初は煙を肺まで吸い込むことはせず、ただ口の中でふかしているだけだったが、父を見ていて煙草というのはバカバカと吸うものだと思って10本ぐらい吸ったら気分が悪くなって階段を這って上るしかなかったことを覚えている。それから親に隠れて放課後や夜中にこっそりと煙草を吸うようになったのだが、しばらくは煙草を吸うとすぐ気分が悪くなり、普通に吸えるようになるまで随分と苦労した。当たり前のように煙草を吸うようになったのは学生時代からである。当時は一日どれぐらい吸ってたのだろうか。本数を気にしたことがなかったのでさっぱり分からない。当時、昭和の日本人男性の喫煙率は80%、どこに行っても灰皿があったしどこででも吸えた。高円寺の地下の薄暗いジャズ喫茶で珈琲一杯で何時間も粘り、たぶん僕はひっきりなしに煙草を吸っていたのだと思う。以来30年以上、僕は煙草を吸い続けた。やめることなんてこれっぽっちも考えなかった。

気がつくと僕は一日40~50本のヘビースモーカーになっていた。業界時代、レコーディングで一日15・6時間もスタジオに篭っているときは珈琲を10杯以上飲み、プレイバックのたびに煙草を吸っていた。パチプロになってからは業務中に吸いまくっていたし、40代になって最後に勤めた会社もオフィスは禁煙ではなく、多いときは1時間に4本のペースで吸っていた。一日40~50本というのは推定である。ぼんやりと本数というか一日何箱吸っているのか意識し始めたのは煙草の値段が一気に値上がりしたあたりからだ。今日は3箱買っちまったなという具合。ただ、3箱吸いきるということはなかったと思うのでたぶん50本ぐらいだったのではないだろうかと思うのだ。

先に禁煙が叫ばれるようになったのは日本ではなくアメリカからだった。いつごろからだろうか、記憶が定かではないけれどもう20年ぐらい前だと思うが、ある年からまずレストランが禁煙になった。そのうちスタジオのコントロールルームも禁煙になった。禁煙が進んだのは西海岸の方が早く、ニューヨークではまだ歩きながら煙草を吸う人が目についた。そのうち、気がつくとアメリカでどこででも煙草が吸えるのはラスベガスぐらいになった。それも10年ぐらい前の話だから今はどうなんだろう。

そういう世の中の流れにはお構いなしに僕は煙草を吸い続けていた。しかし気がつくと周りの友人たちが次々と煙草を吸わなくなっていた。世間のトレンドは明らかに禁煙だった。気がつくと屋外でも駅前とかでは携帯灰皿を手にした初老の人たちが煙草を吸っていると近づいて消すように言ってくるようになった。バンドを再結成すると煙草を吸うのは僕と、僕より20歳以上年下のボーカルのキウチだけになっていた。バンドの練習が終わって煙草の話になると、若いキウチだけは煙草が1000円になっても止めませんと言っていた。僕はと言えば、さすがに1000円になったら考えるだろうなとは思ったが、実のところ、煙草を減らすことは難しいだろうがその気になればいつでもやめられると高を括っていた。

僕が禁煙を意識して試みるようになったのは一昨年悪性リンパ腫という癌になってからである。首筋に腫瘍が出来て生検という手術をして、MRI検査をして病院に結果を聞きに行った。診察室に入り、MRIの結果を医者がボードにぺたっと貼った。そこには、MRIの結果の所見を各担当医が記していて、ふと右の方を見ると「肺気腫」という文字があった。医者は敢えて僕が肺気腫だとは言わなかった(癌の診察なので)が、僕は既にこのとき肺気腫と診断されていたのだ。

僕の父は肺気腫で死んだ。直接の死因は食べ物を喉に詰まらせたことだけれど、医者が言うには原因は「たばこ肺」だという。父は肺気腫の第3段階(だったと思う)で、これ以上悪化すると常時吸入器を持ち歩かなければならないという状態、つまり最悪の手前ぐらいの状態だった。それでも父は死ぬまで煙草をやめなかった。僕が父から聞いたところによると、最後の年の父は1日17本吸っていた。僕はそういう父に意志が弱いなどと言っていたが、そういう僕自身はまだスパスパと煙草を吸っていた。いろんな意味で、僕は父の息子なんだなあと思う。とにかく、僕は父と同じ病気になったのだと気づいた。それでぼんやりと、いつかは煙草をやめなければと思うようにはなった。

悪性リンパ腫が完全寛解したと言われたころから、僕はたびたび禁煙を試みるようになった。8時間ぐらい我慢して、つい寝る前に1本吸ってしまうとそれが恐ろしくおいしくてくじけてしまったりしたが、一番のネックは朝食後の朝の一服をどうしてもやめられなかったというところにあった。

そんな僕がとうとう禁煙出来たのは、一昨年の年末に父が倒れて帰省したときだった。雪の多い冬だった。ある日僕は風邪をひいて一日寝込んだ。それで朝の一服以外、丸一日吸わなかった。で、翌朝の一服をなんとか我慢出来たのである。やめるとしたらここしかないなと思った。母に人生で何かひとつぐらい我慢してみろと言われたのもきっかけとなった。僕はひたすら我慢した。引っ越しのために年明けに浦和に戻るときもライターを実家に置いていった。南浦和の喫茶店で大好きな水出しコーヒーを飲んでいて死ぬほど煙草が吸いたくなっても我慢した。なんていうか、継続して吸わないでいるとなんとかなるものだ。それで僕は4月までの4ヶ月間禁煙した。父は2月4日に亡くなった。母は年明けから統合失調症を発症して1月の末から精神病院に入院した。

前述のように、3月に一度劇的に回復してそろそろ退院という話が出た母が、4月になって急に病状が再び悪化した。原因は医師の診断ミスによる薬の中止である。母は感情を表さなくなり、幻聴もあり、別人のようになって妄想の世界の人となった。それで僕は10年来のうつ病が急に酷くなってしまった。ある春の日、とうとう4ヶ月ぶりに1本煙草を吸ってしまった。今となっては記憶が定かではないが、それはたぶんとても美味しかったのだと思う。

最初は一日1本、翌日は2本という具合に少しずつ煙草は増えていった。業務中に外に出て春の日差しを浴びて煙草を一服して、青空を見上げながらやっぱり煙草を吸う人生の方が豊かだよなあと僕は思った。

そのころは確かにそう思ったのだが、では今はどうかというと微妙である。煙草を吸わないで済むのならそれに越したことはないかなとも思う。少なくとも去年の春に思ったように、煙草を吸う人生の方が豊かであるという確信はない。むしろ不自由かもしれないとときどき思う。いずれにしても頭の片隅に「肺気腫」という文字がこびりついていて、以前の本数に戻してはいけないと思い、僕は喫煙を再開してから一日何本吸ったか、どれぐらいの間隔で吸ったか分かるように吸った時刻を手帳に書きとめるようになった。これは案外と効果があった。再び吸い始めたころは少なくとも1時間は間隔を開けるように心がけた。しかしやがてそれは30分になり、20分になってしまった。だが吸った時刻を書き留めることで、1時間に2本以上は吸わないようにはしている。それで際限なく本数が増えるということはなくなり、大体一日一箱前後、つまり20本ぐらいのところに収まってはいる。ストレスや抑うつ状態があまりに酷くて、もう今日は何本吸ってもいいやと思ったりもしたが、再開後最高は一日26本に留まった。最近になって本数が増えつつあるが、それでも大体22本ぐらいである。手帳に吸った時刻を書き留めるのは案外と効果がある。

ただ体調の悪いときとか、肺気腫のことが頭から離れない。僕も父と同じように煙草で死んでしまうのかと思ったりする。息が詰まるような感じがすると、とうとう肺気腫が悪化したのかとか思う。

父が亡くなった直後に近所の蕎麦屋のおかみさんが線香を上げに来て、うちの旦那も肺気腫で亡くなったんですよと話した。それも、やめてから20年も経ってからなんですよと。この話が頭のどこかに引っかかっている。ということは、結局のところ30年以上も吸っていると、いまさらやめたところで同じなのではないかと。神経質になっているときとか、今吸っているこの1本で寿命が縮むのだろうかとか思うこともある。しかしながら、実際のところは今さら禁煙しても大差ないのではないかとも思うのである。もちろん、肺気腫というのは煙草を吸い続けている限り悪化するのではあるが。

そんなわけで、遠い先のことを考えるとどこかのタイミングでいずれ禁煙しなければならないのだろうなとは思う。それをずるずると引き伸ばしているだけのような気がしないでもない。毎日100本吸うので有名だった故市川崑ですら晩年の数年は禁煙したという。彼は90歳を超えるまで生きたが。ツイッターのタイムラインで僕と同じように煙草を吸っている人、特に僕より年上の人がいないかと目を凝らしたり、ウィキペディアで僕より年上でヘビースモーカーで有名な人(明石家さんまとか桃井かおりとか)を調べてみたりして、まだ吸ってもいいのだと思おうとする。まだ大丈夫なのだと。しかしながらツイッター上ではこの2年間で僕より年上の人が2人禁煙した。

実際のところ、このところ体調があまりよろしくないせいもあるのか、煙草を吸ってもかつてのように美味しくないのである。一度禁煙して本数に気をつけていちいち吸った時刻を書き留めながら煙草を吸ってみると、1本の煙草を吸う時間というのが実に短いことが分かる。せいぜいが5分から7分ぐらいなのだ。あまりにも短いのでこのことを再発見したときはびっくりした。もうちょっと、せめて10分から15分ぐらいにならないものだろうかと思った。葉巻みたいに何十分ももつのだったらなあとか。1本の長さが倍ぐらいあればいいのにと思ったりしたが、それでは一度に2本吸うのと同じことになってしまう。

こんな風に、何かと気にしながら煙草を吸っているのは実に不便というか不自由である。喫煙はもちろん身体にはよくないが、精神衛生上のリラックス効果はある。そうじゃなければ何千年も続くわけがない。だが肺気腫のことを気にしたり、本数のことを気にしたりしながら吸うとああこれが身体によくないんだなあとかいちいち思ってしまう。なので、心底リラックスするということがなかなか出来ないし楽しめない。正直、何も気にしないでひっきりなしに煙草が吸える人をうらやましいとも思う。と同時に愚かだなあとも思い、どうしても同じように平気で以前のようにスパスパと吸うことは出来ない。

では何故今やめないのか。それがよく分からない。とにかく吸いたいからとしか言い様がない。しかし煙草というのは1本吸うともう1本吸いたくなるものだ。ずうっと吸わないでいればそれなりに吸わなくても平気なものなのだ。結局、吸っちゃうから吸いたくなるということの繰り返しに過ぎないのかもしれない。

馬鹿げたことを言うようだが、煙草というものが健康にまったく差しさわりのないものだったらなあとか思う。アルコールはもちろん、食べ物でもなんでも摂り過ぎたら身体にはよくないし病気にもなる。そういう意味では僕はこれまでの人生において煙草を吸い過ぎてきたのだと思う。それで今になって1本吸うのに過度に神経質にならざるを得ず、存分に楽しめない。なにごともほどほどがよいのだとは思うのだけれど、こと煙草に関して言えば、適度な量というものはそもそもないんじゃないだろうかと思う。ずうっと一日10本ぐらいだったら確かにまだ肺気腫になっていなかったかもしれないが、だからといって身体にいいわけでもないし健康になるわけでもない。一方、煙草を吸わない人だけが長生きするというわけでもない。

僕はいつまで煙草を吸い続けるのだろうか。そして、いつやめるのだろうか。

ひとつだけ言えるのは、食後に美味しいコーヒーを飲みながらの一服というのは、なかなかに捨てがたいものだということ。つまり、人生において。

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