まだ雨上がりの匂いのする外に出て、夜気を吸った。そしてこんなことを考えた。
僕の目の前に穴がある。
僕の前に穴が開いたのか、それとも穴の前に僕が居るのか。とりあえずどちらでもいいことにしよう。もしかしたらそれはとても大事なことなのかも知れないけれど。
とにかく僕は穴の前に佇んで待っている。穴の直径は1メートルぐらいか。僕は傍らにしゃがみこんで待つ。時折覗き込んでみたくなるがそれは怖くて出来ない。
僕は何を待っているのだろうか。穴がひとりでに塞がるのを待っているのか。否、おそらく僕はどこからともなく蓋が落ちてくるのを待っているのだ。
都合よく蓋が落ちてきて穴を塞いでくれるのを。
しかもその蓋はぴったり穴のサイズでなければ駄目だ。小さ過ぎれば穴の中に落ちてしまうだろうし、大き過ぎれば傍らの僕まで押し潰してしまう。つまり、都合よくぴったり穴と同じサイズの蓋が、どこからともなくぴたりと穴と同じ場所に着地しなければならない。
考えると、それはとてつもなく都合のいいことで、そんなことは万にひとつも有り得ないように思える。それなら何故僕は待っているのか。
もしかしたら蓋は誰かが運んでくるのだろうか。ある日、サンタクロースのように、もしくは郵便配達夫の格好をして、ぴたりと収まる蓋を持ってきて蓋をしてくれるのかも知れない。だが、それはいつになるのだろうか。僕がここに居るあいだでなくては意味がない。
やはりそれは自分で埋めるべき穴なのか。周りの地面を掘って、少しずつ埋めて行くべき穴なのだろうか。しかし、穴の深さは計り知れない。第一、穴を埋め終わったころにはそれを埋めるべく掘ったもうひとつの穴が出来てしまうではないか。
そんなことは言い訳に過ぎない。
僕は煙草に火を点けて、ひとつ煙を大きく吐き出した。もしかしたらそれは無数にあるのかも知れない。ふと周りを見渡すと無数に穴が開いていて、ひとりずつその傍らで待っているのだ。
もしかしたらそれは穴ですらないのかも知れない。その時点で僕は既に間違えているのかも知れない。それは埋めるべきものでも蓋をすべきものでもなくて。僕のすべきことは他にあるのかも知れない。
そういえばこのサイズはちょうど僕が入れるサイズではないか。これは僕が飛び込むべきものなのかも知れない。それは地球の裏側に通じているものなんかじゃなくても、それでもどこかに辿り着くものなのだ。
それがきみのところならいいのに。
ああ、いずれにしても僕には穴を埋める勇気も、飛び込む勇気もないのだ。
僕は煙草を夜のアスファルトに捨てて踏み潰すと、馬鹿な考えも止めた。僕には埋めるべきものが他にあるのだ。
written at 4th, may, 2001