いちおう言っとくが、僕だってその気になればプロフィールに「座右の銘:涅槃で待つ」とかくだらないことを書こうと思えば書けるのだ。如何せん僕は根が上品で真面目なので美意識がそういうふざけたことを許さないだけである。
先日WOWOWでデヴィッド・サンボーンのライブを見ていて、司会のピーター・バラカンが自分と趣味が近いなあなどと思ったのだが、このピーター・バラカン、日本語が達者なのもそうなのだが顔つきが日本人ぽく見える。そう言えばロスの友達が以前日本に来たとき、知り合いが彼を見て、「ほんとに日本人だよね?」と僕に聞くのだ。そう言われて見ればアメリカで見るとどこから見ても日本人なのだが、日本で見るとなんとなく外人っぽく見える。もちろん彼はコテコテの日本人なのだが、当時もうアメリカに住んで16・7年になっていたはずで、食生活とか環境が顔つきまで変えてしまうのかと感心した覚えがある。同じように日本語がやたら達者なデイブ・スペクターなんかも前から日本人に見えるなあ、と思っていた。
TBSでやっているたけしの「ここがヘンだよ日本人」という番組を好きでよく見るのだが、日本語が達者な外国人の多さに感心してしまう。中には漢字を使ってみごとに日本語を書く黒人もいて、すごいなあと感心してしまった。考えてみると、日本語にはひらがな・カタカナ・漢字と3種類の表現方法があって、それが混在して使われるという世にも難しい言語表記である。しかもこのうちひらがなとカタカナは表音文字なのに、漢字は表意文字というややこしさ。表意文字というものがない欧米人にとってはさぞかし厄介なものだろう。
考えてみると、逆に欧米の言葉が入ってきたときに、表意文字としての漢字を表音文字として使っている。例えば地名とかがそうである。ニューヨークが「紐育」。字に意味がないので、なんのこっちゃという感じである。どうせなら誰でも思いつくところで「入浴」とかでもよかったのだろうが、ちょっとひねって「乳欲」とする手もある。しかしこれではなんだか赤ん坊の欲望のようでニューヨークっぽくない。ここは「乳浴」とした方が乳児プレイっぽくていいのではないだろうか。人名にしても、同じように意味のあるニュアンスを伝えることができる。例えば「ジョージ・ガーシュイン」だったら「情事が手淫」もしくは「常時が手淫」とか。もう少しひねれば「譲二が手淫」という手もある。
そういう意味では、「マンゲキョウ」という言葉は応用が利きやすい。例えば「万華鏡を覗いたら、そこには見たこともない素晴らしい世界が広がっていた」という文章だったら、「マン毛境を覗いたら、そこには見たこともない素晴らしい世界が広がっていた」とすると、いかにも素晴らしい世界のように思えるではないか。これを「マン毛卿」とすれば人名になる。例えば、「これはこれはマン毛卿、どうぞこちらへ」という具合である。宗教にだってなる。「マン毛教」。これだったらなんとなく入信してもいい気が...
あれっ、いつからシモネタになってしまったのかしら...