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「嘘(2)」

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人間は初めての嘘はいくつぐらいで吐くのだろうか?

僕が覚えている最初の嘘は幼稚園のときである。ただし、それが最初の嘘であるかどうかは定かではない。それは飽くまでも僕が覚えている範囲でのことだ。

それがどんな嘘かと云うと、新潟地震に関してである。いつごろだったのだろうと調べてみると、1964年の6月16日であった。僕が5歳の誕生日をまだ迎えないうちの話だ。僕の記憶の中の新潟地震は、とにかく酷く揺れて、幼稚園から近くの畑か空き地のようなところに避難して、そこでもまだ大きな余震があった、ということぐらいだ。これは僕にとって初めての大きな地震の体験で、何より怖かったのは、僕の住んでいた山形県でも地割れがあって、死者も出たという報道だった。そのときの恐怖は僕にとってちょっとしたトラウマのようになり、今でも地震と云うものは酷く怖い。もしかしたらこれで死ぬのではないか、と云う思いが必ずアタマをよぎる。つまり、僕にとって地震とは「死」と云う意識とどこかで直結しているものなのだ。

先に調べたところによると、時間は午後1時1分。つまり、ちょうど昼食後の昼下がり、と云ったところだ。ところが、僕の吐いた嘘というのは、そのときに風呂に入っていた、と云うものである。これは笑止だ。いくら子供だからと云って、昼の一時に風呂に入っているものなど、そうそう居るわけがない。ところが子供というのは不思議なもので、そんな僕の話を信じるのである。僕はとにかく、話を面白くしようと思って風呂場から裸で飛び出しただのなんだの得意満面になって話した。考えてみれば、同じ幼稚園にいた者は、僕と同時に地震を経験して一緒に避難したわけで、いくら年端のいかぬ子供とはいえ、こんな作り話を信じたとはなかなか信じ難い。まあ、子供というのはそもそもが信じ難い存在であるから、まんざら有り得ないこととも云えないが、普通に考えると一年か二年経って、つまり小学校に入ってから吐いた嘘なのかも知れない。

どうしてこの嘘だけ覚えているかと云うと、それが微かな罪悪感を伴っているからである。僕は人に受けたくて嘘を吐いた。考えてみればそれは最初の虚栄心と云えなくもないし、大袈裟に云えばある種自我の発露である。自意識過剰の始まりと云ってもいい。しかし、一方で自分は人に受けようとして嘘を吐いてしまった、と云う自分の醜さに初めて気づいたことでもあった。つまり、それは僕の中では決して男らしい行為ではなかった。まあ、今考えるとそんなことを云ったら関西人の男の大半は男らしくない、と云うことになってしまうが、とにかく、そのときの僕は自分が酷く嫌らしい人間だとアタマの片隅で思っていたことは確かだ。それが僕の中に初めての罪悪感らしい罪悪感として、わずかばかりの後悔の記憶として残った。

それからも子供の僕は数限りない嘘を吐いた筈なのだが、次の嘘の記憶は小学校時代のことである。何年生ぐらいのことかは覚えていない。まだ低学年の頃だろう。僕の実家の真向かいは大きな寺で、僕らは境内で野球だのなんのだとよく遊んだ。ある日、いつものように寺に遊びに行こうと家を飛び出して行くと、後からついてきた弟が家の前で車にはねられた。幸い大事には至らなかったが、当然のように警官がやってきて現場検証を行った。僕は目の前で見た目撃者として、生まれて初めて警察官と云うものと話をした。僕は緊張した。制服を着た警察官というのは、一種の権威の象徴であり、罰するものの象徴であるかのようにも思えた。警察官は何故弟が飛び出したのか、と僕に尋ねた。最初僕は正直に答えた。弟は僕と一緒に寺に遊びに行こうと飛び出したのだと。ところが、警察官は道路に示した跡を指差して、それではどうして寺の入り口から五メートルもずれているのか、と僕に詰問(僕はそう感じた)した。今考えてみれば、それは単に弟が車に撥ね飛ばされた距離にしか過ぎない。しかし、僕は動揺した。そう云われると、あたかも自分がツジツマの合わないことを云ってしまったような気がしてきた。子供の僕は恐らく汗を額からたらりと流して考えた。そして答えた。その方角にある××くんの家に遊びに行こうとしたのだと思う、と。警察官は手帳にメモを取りながらその××くんの家はどこにあるのか、と云うようなことを更に問いただしてきた。僕はしどろもどろになりながら答えた。もうなんと答えたのかは覚えていない。つまり、もうそこから先は言いたくもない嘘を喋らされたのだから。そのことはそれ以降、無理矢理嘘を吐かされた経験としていつまでも僕の記憶に残った。

人は一生の間にいったいどれだけの嘘を吐くのだろう。また、吐かねばならぬのだろう。

written at 8th, aug, 2001

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