数ヶ月前に取り壊された、近所に唯一のスーパーがあって、僕はよくそこで買い物をしていた。レジには店長の他に、いつもひとりの女の子が居た。やせこけて見栄えのしない、こんな云い方はよくないがはっきりいって貧相でブスな女の子だ。さえない制服で乱暴にひっつめた髪で舌ッ足らずにしゃべる姿は、かつてはさんざんいじめられたんだろうなと勝手に想像してしまう。まんざらそれは的外れでは無いのではないかと思える。要するに場末のスーパーのレジにもっとも居そうな女の子である。
自分が貧乏な癖に何故か妙な中流意識を持ってしまっていて、恐らくそれは日本人の特徴でもあると思えるのだが、彼女を見ていささか傲慢な同情すら覚えてしまっていた。実際、かつて担当していた女性シンガーソングライターは、デビュー直前まで空港のキヨスクの売り子をやっていて、相当なコンプレックスに凝り固まっていた。僕は人間と云うのは基本的にそういうものだと思っていた。だから彼女も少々の劣等感や惨めさをかみ締めながら生きているんだろうな、などと身の程知らずなことを思ってしまったのも無理からぬことと云えなくも無い。
あれはまだ、僕が携帯を持っていなかった頃だったから、もう数年前のことだろう。夏だった。いつものようにアパートを出て、スーパーの方に歩き出すと、向こうからレジの彼女が自転車でやってきた。いつもの女工哀史のような制服とは打って変わったホットパンツ姿で(確か全身ピンクっぽかった)満面に笑みを浮かべ、片手に持った携帯で誰かとそれは楽しげに話しながら。僕はあまりの変わりように唖然としてしまった。それからしばらくして、やはりまだ夏だった、今度は駅の方に向かっていると、途中のマンションの角にある小さな公園で、ひさしの付いたベンチに座って本を読んでいる彼女を見かけた。それは僕などより遥かに優雅で、ある種の崇高さまで感じた。
それでもたぶん彼女は贅沢とは程遠い安アパートで、質素な暮らしの中で素敵な彼氏などと云うものも居ず、それなりにトラウマやコンプレックスを引きずって生きているのだろう。しかし、あれ以来、彼女は幸せなのだと僕はある種の確信を持った。そしてそれはとてもとても羨ましかった。
幸せってなんだろう?