love in vain

「シャッター」

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なんだかんだ云いながら、「ビューティフルライフ」の最終回を見た。something newにも書いたように、日曜のこの時間と云うのは、何故か夕食後にもっとも眠くなる時間で途中の回は随分と見過ごしている。それにつけても、見ているこっちが照れ臭くなるようなドラマだし、何よりこういう結末が見えてしまっているので見るのも結構辛いものがある。設定もオーソドックスではあるが、大体決まって逝ってしまった者は残された者の心の中に生きると云う結末もそうである。

心の中に生きるってどういうことだろう?

先日の夢の中に出てきた学生時代の彼女もそうなのだが、別に絶対忘れるもんかとか、反対に忘れようと努力したわけでも無いが、本気で恋した相手と云うのは何故か今でも鮮明に顔や表情を覚えている。最近とみに人の名前を度忘れしたりとか、記憶力が覚束なくなっている僕にとっては、考えてみると結構不思議なことではある。何故か笑っている顔が多い。笑っている顔以外では、これも不思議なことに別れ際のクールな顔や泣き顔と云った表情はあまり思い出せず、その後付き合うことになるとはまだ考えてもみなかった頃の、最初に出会ったり見かけたり、例えば友達の知り合いとして初めて大学のカフェのテーブルの脇を通り過ぎたときの映像とか、喫茶店で初めて出会ったときの幾分とまどった表情とかの方を覚えている。単純に考えればいいところだけを覚えていようと無意識の中で選んでいるのだろうが。昔々、八神純子の曲に「思い出は美し過ぎて」と云うのがあったが、うまいことを云うものである。

考えてみれば彼女たちは別にまだ他界したわけでもなくて、皆違うところでしっかり生きているわけだが、そう考えるとみんなもう僕の覚えている人間では無くて、すっかり別の人間になってしまっているのだろうか。もしかしたら、斯く云う僕も、何時の間にか別の人間になってしまっているのだろうか。とすれば、常々自分がちっとも変わっていないと云いたがるのも、変わってしまったことを薄々感じているだけなのかも知れない。彼女達と自分とが、あまりにも遠ざかって別の人間になってしまったことを認めたくないだけなのかも知れない。

何時の間に僕はこんなセンチメンタルな人間になってしまったのだろう?たぶん僕はそれも分かっているのだ。最初から。

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