渋谷から乗った地下鉄の車内で二十歳前後の若者(おじさん用語です)が宮部みゆきの新作「クロスファイア」を読んでいた。やっぱり売れてるんだな。僕も出るとすぐに読んだくち。
改めてどこにも書かなかったけど、僕はミステリが好きです。ここ数年はミステリ(ミステリーでもいいけど、早川ミステリ文庫とかの印象強いし...)ばかり読み漁っている。国内もの海外ものどちらも読む(いまはエルロイを読んでいる)けど、どちらかというと国内ものを読むことが多いかな。
宮部みゆきは好きな作家のひとりだ。如何せん、ここのところ出版数がやたら多いので全部は読み切れていない。ちょっと書き過ぎのような気がするけど。「クロスファイア」は確かに帯に書いてあるように、スピード感があって一気に読ませるエンタテインメントだ。ただ、「長編推理小説」と題されているが、これは完全にSFである。思春期のころ死ぬほどSFを読みまくった僕が言うのだから間違いない。確かにおもしろかったのだが、僕にとっての彼女のベストは、御多分に漏れず「火車」である。構成といい、おもしろさといい、作品の完成度といい、やはり群を抜いている。「クロスファイア」と同じようなSFよりの題材の彼女の作品はいくつかあるが、やっぱり初期の「龍は眠る」の方が僕は好きだ。同じような題材の志水辰夫の「滅びし者へ」も無茶苦茶おもしろかった。ちなみに宮部の「蒲生邸事件」はまだ読んでいない。総じて僕は宮部の作品は初期の作品のほうが好きだ。「スナーク狩り」とか...。
僕が宮部の好きなところは、やはり女性らしい優しい視点と根本にあるヒューマニズムだ。彼女の文章はいずれも平易で、高村薫のような生硬さや気負いは微塵も感じられない。余談だが、京極を読んだあと彼女の本を読むとやけに漢字が少ない気がする...。
彼女の書く世界は、舞台はどうあれ下町の匂いに包まれている。これは彼女が下町に生まれ育ったからに他ならないのだが、同じことがマンガのちばてつや、ちばあきお兄弟にも言える。舞台が下町であるということもそうなのだが、なによりも登場人物が下町のひとなのだ。
東京に住むひとならわかるだろうが、東京の下町はメガロポリス東京のなかで一種別世界である。つまりネイティブな東京であり、ネイティブな人たちの住む場所なのだ。僕はかつて業界誌につとめていたころ、葛飾区、足立区といった下町を担当していた。これに墨田区、江戸川区を入れればほぼ墨田川流域の下町を網羅したことになる。よく下町情緒というが、下町には一種独特の空気がある。時間の流れといってもいい。これは僕がいま住んでいる世田谷区(これもいまの東京を代表する場所だ)とはあきらかに違う種類の世界がある。それは何かというと、やはり前述のネイティブなものなのだ。
ネイティブつまり言い方は悪いが東京の原住民という感じなのだ。よく言えば歴史のある庶民性といったところか。これは善悪両方を包含していて、下町のよさの代表的な部分はやはりヒューマンな部分で、むかしながらのコミュニケーションの上に築かれている。ネガティブな部分として一方ではヴァイオレントな部分、いわゆるガラの悪さも持っている。名指しで悪いが、小岩駅周辺の夜が含むヴァイオレントな匂いはハンパじゃない。小菅刑務所のある金町・綾瀬界隈も同様で、以前河川敷で起きた地元の若者同士のリンチ殺人なども起こるべくして起こった感じがしてしまう。今回の「クロスファイア」はそうした下町の含む暗部を描いたものとしては秀逸だが、徹底的に冷徹な視点を通せない彼女の優しさは最大の武器でもあり、弱点でもあるかもしれない。彼女の根底には暴力に対する嫌悪が見え隠れする。だから彼女は魅力的な犯人は書けるが、エルロイやクーンツやエルモア・レナードの書くような魅力的な悪は書けないかもしれない。もしかしたら男性と女性の違いもあるかもしれない。男性はとかく暴力にカタルシスを求めてしまうのだ。オレも男だ...
すまん、今回は生真面目に書いてしまった。表現が拙かったり、曲解があったら御勘弁を。