アントニオ・ファラオ(Antonio Farao)は65年生まれのイタリアのジャズ・ピアニスト。
イタリアのジャズというとイタリア人というラテン系の気質とジャズというストイックな音楽が頭の中でうまいこと結びつかないような感じがしないでもないが、南米のジャズがそうであるように、ラテン系の人がジャズをやるとセンチメンタリズムに抑制がかかり、上手くメロディアスに消化している印象がある。しかしながら、同じイタリアのジャズ・ピアニスト、エンリコ・ピエラヌンツィがそうであるようにセンチメンタリズムに過度に傾倒、埋没する傾向も否めず、ハードバップ系のクールさをジャズに求める人には少々センチメンタルに過ぎるかも知れない。しかし、スウェーデンのジャズ・ベーシスト、ラルス・ダニエルソンの書く曲がそうであるように、こういった傾向はヨーロッパのジャズ・ミュージシャンに往々にして見られる傾向でもある。そういったテイストがジャズのマインドと上手いことバランスが取れると適度なブレンドとなり、ジャズのスリルとメロディの美しさを共有することになる。
アントニオ・ファラオには二つの側面があり、前述のようなメロディアスでロマンティックな聴きやすいものと、ハード・バップやモード・ジャズというものを包含した、いわゆるポスト・バップのピアニストという面を前面に押し出したものがある。アルバムによって比較的傾向は明確だけれど、ほとんどの場合、両者が混在している。彼のピアノは倍音が多くてはなやかな音という印象がある。これは録音状態にもよるけれど、彼自身のタッチと、本人の好みによるのではないか。これはセロニアス・モンクのような終始強いタッチで弾く固い音とは明確に異なる。アーティキュレーションにメリハリがあり、そういう部分に対して繊細なのが伺える。一言でいうと、音が美しいな、と。
僕が個人的に一番好きなのは、同じイタリアの映画監督、パゾリーニへのトリビュートアルバム。アンビエンスが息づくような録音状態がとにかく素晴らしい。それと、(個人的に)難解な印象が強かったベースのミロスラフ・ヴィトウスが見事な存在感を示している。ヴィトウスのベースがコーヒーの苦みのようなスパイスとして効いている。空間を埋めるようなDaniel Humairのドラムと相まって、3人のコラボレーションが絶妙だ。ここでは過度なセンチメンタリズム、ロマンティシズムは影をひそめ、空間が鳴るようなポスト・バップのアルバムになっている。ホント、いい音だなあ、このアルバム。
"Take On Pasolini" Antonio Farao |
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Antonio Farao (p)
彼の聴きやすいアルバムの中では、"Domi"が適度に抑制が効いていて好きだ。ここではファラオのロマンチシズムが垣間見える。余談だが、さっきこのアルバムをかけていたら、母が「いい音楽だねえ」と言っていた。
"Domi" Antonio Farao |
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Antonio Farao (p)