ナイトソングス (6)
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26
翌日、山岸が親指を立てて、文化祭の出演、全然オッケー、と報告してきたときから、僕らは舞い上がっていた。計画は着々と、確実に成就に向かっていた。
あれ以来加藤は姿を現さなかった。いったいなにがあったのか、父親となにを話したのか、ショウジは一切口にしなかったし、僕も敢えて訊かなかった。ショウジの様子も、まるでなにごともなかったかのように、普段と変わりなく見えた。
水曜日の放課後、合唱部の練習がある山岸を除いて、僕とショウジとユリと、三人で楽器屋に寄った。きっかけは、ユリがわたしもなんか楽器やりたい、と言い始めたからだ。それで僕は、シェイカーだったらいいんじゃないかというアイディアを思いついたのだった。それならリズムを取るだけだから、今から練習しても十分文化祭までは間に合うと思ったのだ。僕らは大通駅で降りると、楽器屋を何軒か回り、ユリはシェイカーをひとつ買った。それから大通り公園に行くと、ベンチに座って僕がリズムの取り方を教えた。とは言っても、僕もシェイカーを、と言うよりパーカッションの類を扱うのは初めてで、ただ以前父のライブを見に行ったときに、パーカッションの人が振っていたのを見た記憶を頼りに、見よう見まねで振ってみたのだ。僕の理想としては、八分と十六分が混じったリズムパターンだった。しかし、実際にやってみるとこれが案外と難しく、それでリズムをキープするとなると、ましてやそれをやりながら歌を唄うとなるとかなり熟練を要することがわかった。僕は結局、テキトーでいいや、と言い始め、最終的には八分で練習してもらうことにした。それならなんとかなるだろう。僕とショウジは、懸命にシェイカーを振ってみせるユリを見て笑った。なかなか巧くいかずに、それを笑う僕たちに向かって膨れっ面をしていたユリも、終いには自分で吹き出した。本当に楽しかった。そろそろ日が傾き始めた公園に、ユリの立てるシャカシャカというシェイカーの音が、まるで潮騒のように鳴っていた。
帰りの電車の中で、僕はショウジに、そう言えば例の曲の歌詞はどうなった? と尋ねた。ああ、できたよ、とショウジは微笑んだ。それでタイトルは? と僕は訊いた。ちょっとカッコつけてるみたいだけど、とショウジは照れながら前置きして、エヴァーラスティング、と答えた。
じゃ、と片手を上げて交差点を曲がるショウジを僕とユリは見送った。じゃあねー、と言ってユリはシェイカーを持った手を掲げて振り、彼女の手の中でシェイカーがシャカシャカと鳴った。微かに笑みを浮かべたショウジの横顔を、西日が金色に染めた。
帰って祖母と夕飯を食べていると、ニュースが新たな事件を伝えていた。
白昼の住宅街でまた発砲。二人が銃弾を受け、暴力団幹部ひとりが病院で死亡。
そう言えば前日も郊外で発砲事件があり、やくざがひとり死んでいた。テレビのテロップに男の名前と年齢が映し出されても、僕にはそれが例のベンツに乗っていたサングラスの男であることなど、知る由もなかった。祖母はニュースに思いきり顔をしかめ、母が帰ってきたら今度こそ仕事をやめさせるのだと息巻いていた。
エヴァーラスティング。
僕は部屋に戻ってから辞書を引いた。永遠。定冠詞が付いて頭が大文字なら永遠の存在、神。
そのモチーフは「夜のうた」の歌詞にもあった。例えば、サビの部分の歌詞だ。
この夜が終わらなければいいのに
このまま世界を
静寂に包んでくれたらいいのに
この夜が終わらなければいいのに
実のところ、僕にはショウジがなにを叫んでいるのかはよくわからなかった。ただなにかに抵抗するような匂いを感じ、ある種の切実さを感じ、単純にそれらをカッコいいと思っていた。言葉が常になにかにリンクしているものであることを、僕はまだ知らなかった。
翌朝僕が下に降りると、予告通り、朝食のテーブルで母と祖母がやりあっていた。僕はやれやれと首をすくめると、我関せず、といった風に朝食を掻き込んだ。テレビのニュースは、抗争が本格的になっていることを伝えていた。
その日、ショウジは学校を休んだ。
翌日もショウジは学校に姿を現さず、酷い風邪でもひいたのかな、と思った。近頃は日中の残暑はともかく、日が暮れると肌寒いくらいで、改めて自分が北の土地にいるのだと思い知らされた。あんな頑丈そうな奴でもやっぱり風邪ひくんだなあ、と僕は妙に感心した。
二日も続けて隣の席が空だと、なんだかやけに居心地が悪い。腰が落ち着かない気がする。教室の一番隅の席だけに、自分が急に取り残されたような、一種の疎外感さえ覚えてしまう。特に教師の声だけが響き渡る授業中ともなると、窓を閉め切っているにも関わらず、僕の周りだけ風が吹き抜けているような、そんな感じすら覚えた。所在なさに、僕はしばしばぼんやりと柔かな陽射しが注ぐ窓の外を見やり、校庭に立ち並ぶ欅の梢が音もなく風に揺らめくのを眺めた。それはどこか、宗教的とも言えるほど荘厳な風景に見えた。
27
ショウジの遺体はその三日後に旭川の倉庫で発見された。彼の父親、広域暴力団傘下の組長、東海林俊昭はその二日前に、射殺死体となって川に浮かんでいた。
僕はそのころのことをよく覚えていない。
ただ最初に家でそのニュースを聞いて、世界がぐらりと揺れるような眩暈がしたことは覚えている。それと、酷く嫌なくじが当たってしまったような感じ。例えば、六発装弾のリボルバーでロシアン・ルーレットをやって、六度目に引き鉄を引くような感じだ。彼の父親の死体が発見されたときから、それは当然のように帰結していったのだ。
確かに嫌な予感はしていたのだ。そしてそれは、日増しに強くなっていたのだ。だがそれが具体的にどう現実に結びついているのか、僕にはその像を明確に描くことはできなかった。ただそれは、次第に濃くなっていく山間の霧のように僕を包んでいた。気がつくと辺りは前後左右、上下もわからぬほど真っ白な霧に包まれている。そこでようやく僕は途方に暮れる。僕はその中を手探りで進むか、それとも霧が晴れるのを待つしかない。
現実はいつもそんな風にやってくる。
そのころのことを思い出そうとしても、時間の流れが急に曖昧になり、自分が果たして泣いたのかどうかも判然としない。干上がった井戸のようにただ呆然としていただけのような気もする。その晩ユリから電話がかかってきた。受話器の向こうで泣きじゃくるユリに、僕はなんて言ったんだろう? 山岸からも電話があったはずだ。僕はなにを話したのだろう? 僕は確かに誰かを呪ったのだが、それがショウジの父親だったのか、それともあのサングラスの男だったのか、それとも人が神と呼ぶものなのか。たぶん、僕が呪ったのは現実そのものなのだ。なにかを失うときっていうのはそういうものだ。父が死んだときもそうだった。ただ、あのときはあまりにも突然にそれは訪れたので、それが自分の中で現実となるまでにしばらく時間がかかった。今回は、既に現実が先回りして僕の行く手にあって、そこにじわりじわりと流されていったようなものだ。僕は予めわかっていたことを、酷くゆっくりと認識したに過ぎない。
ショウジは椅子に縛られて、額に銃弾を撃ち込まれていた。かなり抵抗したのか、顔や上半身に殴られた跡があった。以上はテレビや新聞が伝えることであって、いまとなってはそれほど意味を持たない。僕にとって意味があるのは、彼がいるのか、いないのか、ということだ。
僕ら取り残された三人は、連れ立って葬儀に参列した。父親と合同ということもあって、物凄い人の数だった。人相の悪い顔がいくつも並び、入り口のところには地元のテレビ局のカメラまで来ていた。
それは不思議な光景だった。はにかんだような硬い笑みを浮かべるショウジと、彼があれほど憎んでいた父親が額に入って並んでいた。それは皮肉のようでもあり、救済のようでもある。僕は後者であることを願った。少なくとも、あれほど堅固に身辺を固めていたショウジの父親があっさりと殺されたのは、ショウジのためであることは誰の目にも明らかだった。山岸は、ショウジの写真と、その隣の額に入ったかつての「おじさん」を複雑な表情で交互に眺めていた。皮肉なことに、これで彼も幻影や疑心暗鬼に悩まされることはもうないだろう。「おじさん」はこれで本当の意味で過去の人となったのだ。もうあとは忘れるだけだ。自分の母親の言うことを素直に信じればいい。そしてそれを受け止めればいい。いずれは彼もそうなることだろう。なにせ、彼は母親と二人きりなのだから。僕はそう思って、もしかしたら山岸はかえってすっきりした顔になっているのではないかと、彼の横顔に目をやった。ところが、意に反して山岸は唇を噛み締めて、涙をこらえていた。なにかに耐えるような、なにかに憤っているような顔で。僕にはそれがやり場のないほどの後悔に耐えているように映った。たぶん山岸は話したかったのだ。僕に話したように、ショウジにも話したかったのだ。しかし、それはいまとなって思うことであって、たぶんあのままだったらきっと山岸は話していなかっただろうと僕は思う。ユリは泣きじゃくっていた。だが、僕は泣かなかった。これはただの儀式に過ぎない。ひとつの手順を踏んでいるに過ぎない。僕はこれから否応もなく積み重ねて行く時間を思った。それは少しずつショウジという存在を忘れさせていくのだ。この儀式も、結果的には彼を忘れるための儀式なのだ。僕はユリの肩を支えながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
お定まりの、机の上に飾られた花は、僕を苛々させた。僕はときおり闇雲な怒りに駆られて、それを手で払いのけたくなってしまうのだ。正直言って、花がなくなったときはほっとした。それとともに机も片付けられ、ショウジが確かにそこにいたということは既に曖昧になり始めていた。
あれから僕は一度も鍵盤を弾いていない。アルバトロスにも顔を出していない。あの薄暗い、世界の裏側のような場所は、急に遠くになってしまったような気がしていた。DX7は預けっぱなしになっていたが、もはやどうでもいいことのような気がした。果たしてコウさんという人物がいたのかどうかすら怪しくなっていた。
なにもかもうんざりだった。僕はすっかり無口になり、いつのまにか教室の中も居心地の悪い場所に思えてきた。一番立ち直るのが早かったのは、意外なことにユリだった。彼女はまたよく笑うようになり、隣の浜崎と話し、しょっちゅうその浜崎にちょっかいを出すねずみを怒鳴りつけていた。以前とちっとも変わらぬ快活さを取り戻したように見えた。ときどき振り返っては、ぼんやり外を眺めている僕の肩をひっぱたき、なにぼんやりしてんのよ、と笑いかけた。
一連の事件は、数人のちんけなやくざが逮捕されることによって終わりを告げた。僕はそのニュースを見ながら、安っぽい刑事ドラマでも見ているような気がした。どこか遠い国のできごとのような、それこそ地球の裏側で起こっている絵空事に見えた。現実はときどきそんな風に見える。
誰かが教室の真ん中で声高にゲームの話をしている。板垣は相変わらずブスな仲間とつるんで、ちくちくと鏡をいじめている。どこかで誰かの携帯の着メロが鳴っている。まるでなにも起こらなかったみたいだ。
僕は頬杖をついて、窓の外に広がる凡庸な風景を眺めた。欅の下の歩道を、自転車に乗ったおばさんがゆっくりと通り過ぎて行く。早々と腹を撃たれてあの世に行った、サングラスが乗っていたベンツが停まっていた辺りを、ジャージを着た禿頭のおっさんがジョギングしていく。グラウンドで二三人がサッカーボールを蹴り合う音が聞こえる。まったく、退屈なほど平和な光景。それはあまりにも平凡で、僕にはフィルターをかけたように色褪せて見えた。
突然、肩を叩かれた。振り返ると、山岸が立っていた。山岸は、や、と言うと、僕の机の端に腰掛けた。僕も、や、と言った。彼と言葉を交わすのは、考えてみると久しぶりだ。山岸はなにか言いにくそうに、眼鏡を直しながら言った。
「黒木がさ、文化祭のバンドどうするって?」
「え?」
僕が呆けたように見上げると、山岸は人差し指で眼鏡の真ん中をせわしなく持ち上げて目を伏せた。
「あんた」いきなりユリがこちらを向くと、思いの外険しい顔で山岸に言った。「ショウジくんがメンバーだって黒木に言ってなかったの?」
「だって」山岸は不満げに口を尖らせた。「それは計画の一番肝心な秘密だと思って」
ユリが深い溜息をついた。
ユリの口からショウジという名を久々に聞いた。不意に、僕はなにかとんでもないことを忘れているような気がした。
それは遠くの方から、いや、実は僕の足元から、それとも耳元から、とにかくどこかから、クールなリフを交えたカッティングとなって僕の頭に押し寄せた。
音楽だ。
それは僕の生まれたときから、いや、母さんのお腹の中にいたときから、僕の傍にあった。そして、僕の父は音楽に生きて、音楽に死んだ。
なんてこった。
ああ、オレはとんでもない阿呆だったよ、ショウジ。
確かにショウジは死んだ。しかし、ショウジの音楽が死んだわけではない。
僕は突然腹の底から笑いが込み上げてきて、こらえきれずにくくくと笑い出した。ユリと山岸はそんな僕を唖然とした顔で見つめていた。きっと気でも狂ったと思ったに違いない。
「どうしたのよ?」
ユリが泣きそうな顔で僕の両肘を掴んで揺すった。僕は笑いが止まらなかった。僕は息を切らしながら言った。
「永遠を見つけた」
ユリと山岸は顔を見合わせて怪訝な顔をした。
「なんだって?」山岸が訊いた。
「やろう」僕はきっぱりと言った。「バンド」
28
あっという間に文化祭の当日はやってきた。朝晩はすっかり肌寒くなり、僕らは北海道の一足早い秋のさなかにいた。
「お前、ピアノやめたんじゃなかったのか?」
黒木が手際よくケーブルをミキサーに繋ぎながら言った。
「すみません」
僕がぼそぼそと答えると、黒木は、ま、いいか、と笑って、モニターもいるだろ? と僕に訊いた。僕は、はい、と答えたが、そんなことはすっかり忘れていた。
「オレさ、学生のころバンドやってたんだよ、これでも」黒木はすべてのケーブルを繋ぎ終えたことを確認すると、顔を上げて微笑んだ。「実は、何年か前にバンドやろうとしたんだよ、先生同士で。結局、面子足りなくてできなかったけどな」
お前らが羨ましいよ、と黒木は笑い、壇上の山岸に向かって、おい、ちょっとドラム出してみろ、と叫んだ。黒木はミキサーのフェーダーを上げてレベルを調節すると、山岸に、次、ベース弾いて、と叫んだ。なにか黒木はやけに楽しそうに見えた。今朝方、祖父のタクシーで運んできたT3を僕が弾いて音を出し、最後にユリのマイクをチェックすると、じゃ、一回ちょっと全員でもらおうか、と黒木が言った。僕らがワンコーラスほどやるあいだに、黒木は真剣な表情でフェーダーを上げ下げしてバランスを取っていた。僕らが演奏を中断すると、モニターは大丈夫? 聞こえる? と黒木は確認した。僕らは顔を見合わせてうなずくと、僕が代表してオッケーです、と答えた。なんだかプロのスタッフと仕事をしているみたいだった。こうして朝イチのサウンドチェックが終わり、僕らが楽器を壇上の隅に寄せていると、黒木がやってきて言った。
「これ、いい曲だな、誰の曲だ?」
「それはあとのお楽しみ」
ユリが笑いながら答えた。
結局、僕らは一度だけスタジオを借りて練習した。もちろん、一度はちゃんとしたところで練習しておいた方がよかったということもあるが、何故か誰もアルバトロスに行こうとは言い出さなかった。僕はアレンジを変えて、ユリが唄えるようにキーを上げ、間奏はリフによるヴァンプだけにし、エンディングで僕がソロを弾くことにした。長さは決めずに、終わりの合図となるフレーズだけ決めて、最後に残ったドラムをフェイド・アウトして終わる、という形だ。ユリのシェイカーはなかなかの上達を見せていた。たぶん、随分家で練習したのだろう。
刻々と本番の時間が近づいていた。
個人の出し物は、文化祭の最後に控えている校長のあいさつの前で、僕らはその中でも最後のトリをつとめることになっていた。たぶんそれも黒木が仕組んだことだろう。ずらりと全校生徒が並ぶ中、壇上ではひとりで民謡を唄った奴が終わり、二人組の掛け合い漫才が始まっていた。生徒連中はそれでなくてももうそろそろ終わりに近づいて、一刻も早く帰りたくてうずうずしており、会場にはしらけた雰囲気が漂っていた。ざわざわと私語がひっきりなしに聞こえ、ときおりどこかで携帯の着メロが鳴っていた。確かに、当人たちは大熱演の漫才はちっとも面白くなく、先生たちの目が届かない半分から後ろの方は、壇上はそっちのけで勝手に周りと私語を交わし、そっちの方でくすくす笑ったりしていた。それでも壇上の二人が、ありがとうございましたあ、と叫ぶと、それでようやく終わったことに気づき、拍手だけは盛大に鳴った。
いよいよ僕ら、「ナイトソングス」の出番だ。
袖に待機しているあいだ、山岸やユリは少し緊張しているのがわかった。片や僕はと言えば、不思議なほど落ち着いていた。テニスの試合ではあれほどあがってしまったというのに、どういうわけか、ちっとも緊張しなかった。それどころか、いよいよ計画を実行するときが来たのだ、という喜びに満ちていた。
司会の生徒が僕らのことを紹介しているあいだに、僕らは壇上に上がって楽器をセットし始めた。ちらりと会場に目をやると、皆退屈そうにあくびをしたり、好き勝手に話し込んでいるのが目に入った。こいつらを唖然と言わせてやる。なあ、ショウジ。僕はふとサディスティックと言ってもいい気持ちになり、顔には不敵な笑みまで浮かんだ。
では、「ナイトソングス」の演奏です。曲は、「夜のうた」。司会の生徒が告げると、ぱらぱらと不揃いな拍手が起きた。僕はまずユリと目を合わせた。普段のユリらしからぬ、こわばった表情をしていた。僕は笑みを浮かべると、大丈夫、と声に出して言った。ユリは心細げにうなずいた。それから、山岸に向かってうなずくと、山岸はリズムマシンのスタートボタンを押し、カウントが始まった。
ショウジのギターのカッティングをアレンジした、エレピのイントロを僕はノリノリで弾いた。途中から山岸のベースが絡んでくる。僕は弾きながら山岸と目を合わせて微笑んだ。さあ、歌が始まる。リズムマシンがフィルを刻む。
なにか変だ。
歌が聞こえてこない。
僕は弾きながら、もしかしたらPAの加減でモニターが聞こえないのだろうか、と顔を上げた。見ると、ステージの真ん中で、ユリがマイクを胸に抱き締めるようにして泣いていた。山岸が困惑した目を僕に向けた。僕らは演奏を中断した。会場からはなにごとが起こったのだろうというざわざわとした声と失笑が漏れた。PAの卓の前で、黒木が心配そうにこちらを見つめていた。僕は椅子を立つと、ユリのところに行った。ユリは肩を震わせて涙をぼろぼろとこぼしていた。僕がユリの両肩に手を置くと、会場から口笛や、冷やかしのひゅーという声があちこちから聞こえた。僕はユリの耳元に口を近づけて言った。
「ユリ、大丈夫だ。これがオレたちの、最初で最後の演奏だ。自信を持ってやるんだ。あいつらをノリノリにさせるんだ。それがオレたちの計画じゃなかったか? お前が唄ったら、あいつらは驚いて腰抜かすぞ。いいか、お前の歌はサイコーだ。ショウジの曲はサイコーだが、お前のボーカルもサイコーだ。いいか、ショウジに聴かせてやれ。オレらがあいつの音楽を伝えるんだ」ユリは涙で濡れる瞳で僕の目を食い入るように見つめていた。それからこくん、とうなずいた。「よし、笑って」僕が言うとユリは弱々しく笑った。「そうだ、それでいいんだ」僕は微笑んだ。
それから僕はユリにポケットから取り出したハンカチを渡し、ユリの持っていたマイクを手に取ると、会場に向かって叫んだ。
「よーし、ハナかんだらやるぞー!」
会場からどっと笑いが巻き起こった。ユリは僕のハンカチで洟をかむと、えへへ、と笑った。僕はユリにマイクを返すと、楽しくやろう、と言った。山岸がうなずいた。
山岸がもう一度ドラムをスタートさせた。僕はさっきよりもっとハードにイントロを弾いた。僕には怖いものなんてない。この半年で僕はいろんなものを失った。父や、イエや、大事なともだちを。もうこれ以上失ってたまるか。山岸が身体を前後に揺らしながらベースを弾いている。そうだ、それでいいんだ。僕は微笑む。僕らに失うものなんてもうない。僕らは失うためではなく、なにかを得るために演奏するのだ。
今度はちゃんとボーカルが入った。最初は少し震えながら、それでも次第にユリは吹っ切れたように伸び伸びと唄い始めた。僕らは次第に高揚する。僕は叩きつけるようにエレピを弾きながら、会場をちらりと見やる。彼らが飲まれつつあるのがわかる。僕らはサビに向かってテンションを高めて行く。サビ前のリフをびしっと決める。さあ、サビだ。ユリは思いきり唄い始めた。僕も知らぬ間に一緒に唄っていた。僕らはグルーヴに合わせて身体を揺らす。会場の奴らもちらほらと身体を動かし始める。ワンコーラスが終わった時点で会場の生徒たちは僕らに釘付けになっているのがわかる。ツーコラス目からはユリはシェイカーを振りながら、目一杯唄い始める。ミーシャも真っ青だ。僕は興奮して歌に絡むようにアグレッシヴなパッセージを叩きつける。そうだ、このノリだ。僕が初めてショウジの部屋で聴いたノリ。二番のサビ前のリフの後に僕は駆け下りるようなグリッサンドを鳴らす。さあ二番のサビだ。ユリは見違えるようにパワフルな声で唄う。絶妙なヴィブラートでニュアンスを作る。リフを繰り返すヴァンプに来ると、会場の連中はほとんど皆グルーヴに合わせて身体を前後に揺らしている。ステージ脇では黒木が身体を揺すりながら手拍子を叩いている。ハーフのサビだ。僕らはもうゴキゲンだ。僕が合間にブルーノートを叩きつけると、山岸がそれに答えるように、ブーンとベースをグリッサンドする。もう会場は僕らのものだ。手拍子がそこら中から聞こえる。さあ、エンディングだ。ユリは僕が考えたフレーズをフェイクして、まるで黒人のように唄う。僕はハードなソロを弾き始める。最初はブルージーに、それから突然スケールアウトしてテンションを急激に高め、左手で代理コードを連打して右手は縦横無尽に鍵盤の上を駈け回る。僕は額から汗を飛び散らせながら、まるであのアルバムジャケットの中の父のように、いつか母の膝の上で見た父のように、聴衆の度肝を抜くアグレッシヴなフレーズをいつ果てるともなく弾きまくる。聴衆がノリながらも息を呑むのが伝わってくる。僕の目には白と黒が交差する鍵盤しか映らないが、僕にはすべてが見えている。彼らのいてもたってもいられずに身体を揺する姿が。圧倒されて口を半開きにして唖然とする姿が。汗を飛ばして髪を振り乱して弾く父の姿が。僕は終わりを合図する六連のフレーズを連打しながら顔を上げた。一心不乱にシェイカーを振るユリの微笑む姿が目に入る。うろうろと歩きながらベースラインを弾き続ける山岸の笑顔が目に入る。それらを微笑みながら見ているショウジが見える。
僕らの演奏は終わった。怒涛のような拍手と口笛と歓声がやってきて、あっという間に僕らを包み込んだ。僕は椅子を立つと、ステージの中央に向かい、山岸を呼んで三人並ぶと、客席に向かって礼をした。頭を下げると汗が飛び散った。どこからともなく、アンコール、という声が巻き起こり、それは一定のリズムの拍手となって続いた。僕らは困ったように顔を見合わせると、どうする? と言った。山岸が僕の背中をつついて、なんか一曲弾けよ、と言った。ユリがうなずいた。アンコールの声はやまない。黒木に目で問いかけると、黒木は微笑んでうなずいた。僕はユリからマイクを受け取ると、会場に向けて言った。
「えー、メンバー紹介をします。ボーカル、新藤百合」ひゅーという奇声が巻き起こる。「ベース、山岸明。キーボード、酒井光男。そして、作詞作曲、東海林昭光」
そこで熱狂は一時収まり、ざわざわとした声がそこらじゅうから聞こえ始めた。僕は構わず続けた。
「以上、ナイトソングス。では、ショウジの曲をもう一曲やります」
そこでまた熱狂がよみがえり、拍手や口笛が巻き起こった。僕はステージの隅にあったグランドピアノに向かって座ると、大きく深呼吸した。磨かれた黒光りするピアノに自分の顔が映った。僕はもう一度ゆっくりと息を吐き出して、息を整えた。気がつくと、会場は水を打ったように静まり返っていた。
僕は「エヴァーラスティング」を弾き始めた。静かに、囁くようにメロディーを奏でた。ショウジが最後につくった歌。彼はどんな詞をつけていたのだろう? 僕はセンチメンタルに、そしてクールにテーマを弾いた。それから次第にメロディを崩して行き、コードに沿って自由に弾き始めた。次第に気持ちが高まり、それに連れて鍵盤を叩く指も力強くなっていく。僕の感情の高ぶりとともに、指が勝手に動き、僕はときおり唸り声を上げた。ときにはフレーズに合わせて唄った。クラシックのように端正に弾いたかと思うと、突然ブルーノートを多用したフレーズで高ぶりを表した。いつのまにか僕は目をつぶって弾いていた。もはや僕とショウジは一体だ。これはショウジの音楽でもあり、僕の音楽でもある。僕は緩やかに、夕暮れに明かりが灯る我が家に帰るようにテーマに戻って行く。それからゆっくりと、日が沈むようにルバートしていって、星が瞬くように終わる。
巻き起こる拍手は僕の耳には届いていなかった。自分の息をする音だけが聞こえていた。僕は肩で大きく息をすると、そこでようやく自分の目に涙が滲んでいることに気づいた。それから思った。終わった。
椅子から立ち上がると、ようやく僕の耳に周りの音が聞こえてきた。僕はユリと山岸にうながされてステージの真ん中で礼をした。拍手は僕らが壇上を降りるまで鳴り止まなかった。
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その日から僕らはにわかヒーローになった。例えば僕の場合で言えば、朝学校に向かっていると、見知らぬ女生徒がやってきて、あの、凄くよかったです、などと言われるようになり、教室の中でも、急に皆が僕のところに寄って来て積極的に話しかけてくるようになり、帰りに下駄箱の中を覗くと、手紙が入っていたりした。明らかに周囲が僕らを見る目が違っていた。ただ、そんな彼らのうち、何人の胸にミュージシャン・ショウジの名前が刻まれたのだろう? その意味では僕らの計画は半分しか成功しなかったと言える。しかし、ショウジの名前は、特異な事件の犠牲者として、彼らの記憶の中に残るだろう。それを彼らがいつか思い出すとき、僕らが演奏したショウジの音楽が、鮮烈な記憶として同時によみがえってくれればいいのだ。
文化祭の翌日、僕は黒木に呼び出され、黒木は真顔で、お前は天才だ、だからミュージシャンになるべきだ、そのためにも東京の大学に行くべきだ、と言って、それから煙草の煙をふーっと吐き出すと、要するに、勉強しろってことだ、と付け加えた。僕らはそろそろ本格的に受験に取り組まなければならない季節になっていた。
僕らを取り巻いたのは、熱狂の一時的な名残で、やがてそれも次第に沈静化していき、気がつくといつもの教室に戻っていた。
僕はあれ以来、ずっと頭にこびりついているものがあって、日を追うごとにそれは強くなって行った。僕はどうしても「エヴァーラスティング」の歌詞を読んでみたかった。文化祭から一週間を過ぎたある日の帰り、僕は意を決してショウジの家を訪れることにした。僕にはもうひとつ気になっていることがあった。結局ショウジのお母さんと顔を合わせたことは一度もなかったのだが、葬式の日にもどの人かわからなかった。本来、彼の母親がいるべき席には、派手な顔立ちの若い女性がいて、彼女はショウジの母親というにはあまりにも若過ぎるように思われたし、かと言ってショウジに姉がいるという話は聞いたことがなかった。
僕は久しぶりにあの高い塀に沿って歩いていた。例の門扉の前に立つと、緊張をほぐすために深呼吸をした。僕はためらいがちに門扉の脇のインターフォンを押した。しばらくして、はい、というどこか警戒しているような女性の声が聞こえた。僕は一瞬戸惑いを覚えながらも、昭光くんの同級生の酒井と申しますが、とインターフォンに向かって話しかけると、門扉が動き始めた。
僕は中に入ると、アプローチを玄関のポーチ目指して歩き始めた。気のせいか、以前より閑散とした雰囲気が漂い、ひと気がないように思えた。以前感じられた、常に張り詰めたような空気は感じられなかった。僕がポーチに辿り着いたころ、玄関のドアが開いて、化粧の濃い二十代後半の女性が腕を組んでドアにもたれていた。葬式の日に僕が見かけた女性だった。
「昭光の母ですが、なにか?」
女は眉間に皺を寄せて、険のある声で言った。僕はその口から出た母という言葉に戸惑いながらも、ショウジの書いた歌詞があるはずなので、それを見せて欲しいのだ、ということを遠慮がちに言った。女性は苛立たしげに短い溜息をつくと、昭光の物はすべて処分しましたから、と強い口調で言った。僕がそうですか、と言うと、じゃ、と女は言って、バタンと目の前でドアが閉まった。
とぼとぼとアプローチを引き返すと、目の前で門扉がするすると開いた。僕が外に出た途端に、門扉はまたゆっくりと閉じていった。僕は以前とはまた違った意味で門を閉ざしてしまった屋敷をもう一度眺めた。もうここに来ることもないんだろうな、と思った。それから来た道をとぼとぼと戻り始めた。僕はうつむき加減で歩きながら、彼女の言ったことは本当だろうか、と考えた。いくらなんでも全部処分するなんて、早過ぎるし、酷過ぎる。面倒だからそう言ったのだろうか? 見た感じにはそんな様子がありありと伺えた。彼女ならやりかねない気がした。本当にあれがショウジの母親なのだろうか? 単に若く見えるだけなのだろうか? どうにもすっきりしなかった。自分の胸につかえているものをなんとかしようと思って訪れたのに、かえってそれは大きくなってしまった。あの、ショウジの母親と称する女のきつい言い方もあって、嫌な後味だけが残った。
駅前の通りまで出ると、自宅の方に一歩踏み出したところで足が止まり、僕は踵を返して駅の方に向かった。
久々に訪れたそのビルを見上げると、相変わらずごちゃごちゃと雑多なものを無理やり詰め込んでいるように見えた。
重たい木のドアは、いつものように開けるとぎいと音がした。入ってきた僕の姿を見ると、コウさんはカウンターの中で、お、久しぶり、と言って顔をほころばせた。僕は、こんちは、と言ってカウンターのスツールに腰掛けた。
「あれ、今日はひとりかい?」コウさんがグラスにコーラを注ぎながら訊いた。
「はい」
「それで、どうだった、バンド?」コウさんは注ぎ終わったグラスを僕の前に置くと訊いた。「やったんだろ?」
「まあまあ」
僕は照れ笑いを浮かべて答えた。コウさんが、ショウジのことがあっても、当たり前のようにバンドをやったと思っていることが、何故か嬉しかった。
「あれ置きっぱなしだろ、どうしたのかと思って」
コウさんはDX7のフライトケースが置いてある片隅を指差した。
「あ、すみません。もう一台別の奴持ってたから。今日持って帰ります」
「別に急かしてるわけじゃないけどさ」
コウさんはそう言って煙草に火を点けた。店内にはジョージ・ウィンストンの静かなピアノが流れていた。僕はコーラをひと口飲みながら、そう言えば葬式の日はコウさんを見かけなかったな、と思った。あの日はなにしろ凄い人の数で、来ているはずの黒木さえ見つけられなかった。それに、黒いスーツが内に秘める暴力ではち切れそうな連中がぞろぞろと並んでいて、あれだけ大勢のやくざを見たのも初めてで、辺りを見回すのもはばかられたし、そんな余裕もなかった。
すみません、一本もらえますか、と僕が言うと、コウさんは、おうよ、と言って煙草のパッケージを差し出した。僕はそこから一本抜き取ると、口にくわえてカウンターの上のマッチで火を点けた。煙草を吸うのは随分と久しぶりだった。考えてみると、僕が煙草を吸ったのは、いつもショウジと一緒のときだった。ああ、そう言えば一度だけ、山岸と二人で吸ったっけ。久々の煙草は苦い味がした。
「ねえ、コウさん」僕は自分の吐き出す煙に顔をしかめながら言った。
「ん?」
「今日ショウジの家に行ってきたんだ」
コウさんは煙をふうと吐き出しながら不思議そうな顔をした。
「そしたらショウジのお母さんてひとが出てきて」僕がそこまで言うと、気のせいかコウさんはちょっと目をそらした。「あのひと、本当にショウジのお母さん?」
コウさんはしばらく足元を見つめていたが、床に目を落としたままぼそりと言った。
「若過ぎるって言いたいんだろ?」
僕は黙ってうなずいたが、コウさんはまだ下を向いていてそれを見ていなかった。それから煙草を深く吸い込んで煙をゆっくりと吐き出すと、コウさんは顔を上げて言った。
「ありゃあ後妻だよ。これだったんだ」
コウさんは先の欠けた小指を立てた。僕はさきほどの玄関先での苛々した女の顔や、その言葉を思い出し、合点がいった。同時にどこかでほっとしていた。あの感じの悪い女がショウジの母親じゃなくてよかった。
「じゃあ、ショウジのお母さんは……」
「坊ちゃんが小学校のころに離婚したんだ」
「いまは?」
「さあ、確か実家に帰ったんじゃなかったかな……」
コウさんは珍しく歯切れが悪かった。もしかしたら本当によく知らないのかもしれないし、それともあまり話したくないことなのかも知れなかった。僕は、離婚の原因はなんだったのか知りたかったが、なんだか下司の詮索のような気がして訊けなかった。それに、いまさら僕がそれを知ったからといって、なにがどうなるというわけでもない。
僕らのあいだに沈黙が訪れ、紫煙の漂う中をジョージ・ウィンストンのどこか素朴でノスタルジックなピアノがのんびりと流れていた。それは僕に、映画で見たアメリカのだだっ広い田園風景を思い起こさせた。僕はまだよく知らなかったが、この北海道には至るところにそんな光景が広がっているに違いなかった。のどかで、まるでなにも起こらないかのような世界が。それは静かで、平和で、永遠という言葉がぴったりの世界だ。しかし、同時にそれは荒涼とした、誰ひとりいない世界なのかもしれなかった。僕は自分がその真ん中に佇む光景を想像し、それは真の孤独というもののように思えて身震いした。
僕が先に口を開いた。
「今回のこと知ってるのかな?」
「そりゃあニュースで知ってるんじゃないか」
「じゃあ、葬式に来たのかな?」
「たぶん。でも、家には入れてもらえなかっただろうな」
珍しくコウさんは顔をしかめた。それから煙をゆっくりと吐き出すと、まるで自分に言い聞かせるように、いや、絶対来たよ、と呟いた。僕は煙草を灰皿に押し付けると、コーラをひと口飲んだ。
「ねえ、コウさん、ショウジはお母さんのこと、どう思ってたのかな、その、本当のお母さんのこと?」
コウさんは、例の顔中が皺だらけになる笑顔を作って答えた。
「大好きだったよ。そりゃあ、やさしいひとだったもの」
僕はそれを聞いて、口元で微笑んだ。
僕がよたよたとDX7のフライトケースを持って店を出ようとすると、コウさんが声をかけた。
「よう、今度いつ来るんだ?」
「決めてないけど」
「今度はみんな連れて来いや。たまにはピアノ聴かせてくれよ」
そう言ってコウさんは顔中で笑みを表現すると、親指を立てた。僕には彼が最後に、ミツオ、と言ったように聞こえた。でもそれはたぶん幻聴だったのだろう。何故かと言うと、そのとき僕にはコウさんが父とダブって見えたからだ。
ふうふう言いながらフライトケースを半ば引きずるようにして地下鉄の駅に辿り着くと、ホームで電車が来るのを待った。そのあいだに考えた。不思議な点はいくつもある。例えば、ショウジが何故あれほど父親を嫌っていたのか。母親の離婚が一番大きかったのだと考えるのがスムーズだ。しかし、僕にはもっと前から、それこそ最初から嫌っていたかのように思えるのだ。もしかしたら、ショウジの大好きだった母親は、最初から夫のことを好きではなかったのかもしれない。それからコウさんのこと。どうしてショウジはコウさんの店のことを知ったのだろう? コウさんの過去はどんなだったのだろう? コウさんもあの家に住み込んでいたりしたことがあったのだろうか? あの、坊ちゃん、という愛情に満ちた口ぶりからも、たぶんショウジが生まれたときから知っていて、長い時間をともに過ごしただろうことは容易に想像できた。どういう経緯でコウさんがあの店を手に入れたのか。ショウジの父親、東海林俊昭の元を離れることになったのか。いずれにしても、実の母親がいなくなり、コウさんもいないあの家では、ショウジは本当にひとりぼっちになってしまったのだろう。さきほど僕の頭を掠めた、だだっ広い、見渡す限り誰もいない荒野の真ん中に取り残されたような気がしたのだろう。構内に轟音が響き、電車が入ってきた。僕は立ち並ぶ人達の顰蹙を買いながらフライトケースを持って乗り込み、それをドア脇に立てかけると、閉まるドアにもたれた。結局、現実というのは、いつもどこか曖昧で、不可思議なものなのだ。それをすべて知り得ることなどは有り得ないのだ。そして現実はどこまでも冷酷だ。その証拠に、この半年あまりで、僕から父と親友を奪ってしまったではないか。僕がいくらショウジの過去を探っても、それはもはやただの憶測でしかない。それはもう過ぎ去ってしまったことなのだ。もう父も、ショウジもいないのだ。僕が見るべきものは、過去ではなくて、未来なのだ。たぶん。走る電車の窓に、どこか頼りなげな自分の顔が映っていた。
30
秋があっという間に校庭の欅の葉を散らしたかと思うと、続いて訪れた冬が辺り一面を雪景色に変えた。
あれから僕は、ユリと山岸を伴って何度かアルバトロスを訪ね、他愛もない話をしてピアノを弾いた。ピアノと言えば、あの文化祭以来、音楽の時間に先生に言われて何度か弾いて、やんやの喝采を受けたりもした。しかし、音楽の時間にジャズのソロ・ピアノ(しかも生演奏)を聴いている中学校なんて、そうそうないんじゃないかと思う。
年を越えるころには、僕らの足も自然とアルバトロスから遠のき、否応もなく目の前の受験と向き合わざるを得なかった。僕は公立高を落ちるわけにはいかなかったので、遅まきながら必死になって勉強した。ときおり、長いあいだ机に向かって凝った肩を夜中にほぐしていたりすると、思い出したように無性に煙草が吸いたくなる。そんなときは、おもむろに窓を開けて、びっくりするほど冷たい夜の冷気に顔をさらしてみたりするのだった。そして、改めて夜空の星の多さに驚いたりする。それからヘッドフォンをつけてT3に向かい、気まぐれに一曲弾くと、また机に向かうのだった。
二月に入ると、週末にユリから自宅に電話が入り、たまには息抜きをしようよ、と言われた。そんなわけで僕は生まれて初めて札幌の雪まつりを見に行った。正直言って、祭そのものはそれほど印象に残ってなくて、ただ雪や氷の彫刻の大きさに感心したぐらいで、それよりもとにかく寒かったという印象ぐらいしかない。そんなことよりも、ユリと二人で見に行ったことで、もしかしたらこれは僕の生まれて初めてのデートって奴かもしれないと勝手に思い、頬を紅く染めて白い息を吐きながら彫像に目を輝かせているユリが、ほらほらあれ見て、と僕の腕を触るたびに、僕の心拍数はちょっと上がり、そんなことばかりに気を取られていた。帰り道、ユリは、ちょっと早いけど、と言ってチョコレートをくれた。その三日後がバレンタインデーだった。驚いたのはバレンタイン当日の僕の下駄箱に、十個ぐらいチョコレートが入っていたことだ。なにしろユリにもらったチョコレートが、僕がそれまでバレンタインデーにもらった、生涯三個目のチョコレートだったのだ。まあでも、それもあながち不思議なことではない。なにしろ、ユリの下駄箱にもいくつかチョコレートが入っていたらしいから。まったく、女子の考えることはよくわからない。
そんなことを除けば、二月という月は教室全体がどこかぴりぴりとした緊張感に満ちていた。まるでぴんと張り詰めた糸のような、屋外の寒さみたいに。
降りしきる雪の中で僕らは受験を迎え、僕と山岸は同じ学校に、ユリは女子高に、それぞれ志望通りに合格した。
合格発表が終わってから卒業するまでのあいだというのは、得も言われぬ解放感が教室を満たしていた。実際、まるでサービスで与えられたような自習の時間もあったし、そんなとき僕たちは皆、ようやく保釈になった受刑囚のように、自由を満喫している気分を味わった。皆さしたる意味もなくうきうきとはしゃぎ、他愛もないことで腹を抱えて笑いながら教室中を駈け回った。このときばかりは、いつもいじめている連中もいじめることなど忘れたかのように思え、いつも下を向いて頑なな表情をしていた、いじめられる側の連中の表情も心なしか和らいでいた。数少ない就職する者や受験に失敗した者さえ、狂騒の中ですっかり吹っ切れたようにはしゃいでいたが、それは実はある種の諦観に裏付けられたものなのかもしれなかった。僕らは中学生という思春期の一段階を終えることを目の前に控え、ようやく階段をひとつ昇ることが許されようとしていた。この馬鹿騒ぎは、まるでそのための祭のように思えた。皆そのあとに、高校や社会という、新たな不安の種がそれぞれを待ち受けていることをうっすらと感じてはいたんだと思う。僕はさすがに走り回ることはなかったが、皆の馬鹿げた悪ふざけに腹を抱えて笑った。確かにこのひとときというのは、どこかふわふわとした幸福な時間のようにも思え、僕は現実の過酷さというものを、束の間忘れることができた。
年明けから自宅の机の上には父のソロアルバムが飾ってあり、知らぬ間に僕にとっての父の姿というものは、そのアルバムジャケットの中にある、若かりしころの父の姿そのものになりつつあった。なんだか、それはまだ一年も経っていないというのに、中野のマンションでの日々は遠い遠い昔のような気がしていた。それは僕という人間が少しは成長した証なのか、それとも単に人間の記憶というものがそういう風にできているのか、いずれにしろ、もしかしたら人間が成長するということは、ある意味ではなにかを忘れることなのかもしれなかった。
そんな風に考えるとき、僕はふとショウジのことを思い出すのだった。ショウジは忘れる前に死んでしまった。父親との確執のこと、身を捩るように孤独だったこと、実の母親をめぐること。彼にはこれから忘れてしまうべきことがたくさんあった。それなのに、それらから解き放たれる前に、自分自身が忘れ去られる存在になってしまったのだ。もう勉強から解放されて気の抜けたような夜にそんなことが頭をよぎると、僕はたまらなく切ない気持ちになり、昼間こっそり買った煙草を一本取り出して、窓を開けて吸うのだった。
春がもうそこまで来ているはずなのに、いまだにちらちらと雪が舞い降りる中を、僕ら「ナイトソングス」のメンバーは久しぶりにアルバトロスを訪れた。卒業式の帰りだった。
正月休みに一度行ったっきりになっていたので、僕らが顔を出すと、コウさんは顔をくしゃくしゃにして迎えてくれた。僕らはコウさんの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、いかに日本の受験制度が過酷か、などということをコウさんに熱っぽく語った。それから例によってカラオケで一曲ずつ唄い、僕は気分まかせのピアノを一曲弾いた。
ユリは、合格したから携帯買ってもらうんだ、と嬉しそうに言った。そして、ねえねえ、あんたたちも買ってもらいなさいよ、と言った。そうだな、違う学校になっちゃうし、と答えながら、僕と山岸は顔を見合わせて複雑な表情をした。考えてみれば、僕も山岸も同じ母子家庭なのだった。僕みたいに祖父母と一緒に住んでいる場合は正確に言えば母子家庭とは言えないのだろうか? それはともかく、いずれにしてもいまの倍の小遣いをもらわないと持てないだろう。ユリが歯切れの悪い僕らに問い詰めるので、僕が本音を洩らすと、ユリは、だったらかけなきゃいいじゃん、持ってるだけで、と言った。僕と山岸は、なるほど、と目を輝かせ、ユリの機転に舌を巻いた。まあしかし、いまどきの高校生が携帯を手にして、かけるなと言う方が無理だということに、僕も山岸もその半年後に気づくのだった。こうして世の高校生は、生まれて初めてのバイトに走るのだ。
バイトと言えば、コウさんが僕に、もう休みに入るんだろ、だったらうちで夜ピアノ弾いてくんないか、バイト代出すから、と言った。これはなかなかに魅力的な申し出だった。ピアノを弾いてギャラがもらえる、というのは、父に一歩近づけるということでもある。僕は、やりたいけど、夜ってのは、と口篭もると、コウさんは、なに、そんな遅い時間じゃなくていいから、そうだな、例えば七時から三十分とか一時間でいいからさ、考えてみてよ、と言った。じゃ、考えてみます、と僕は答えた。まあそれぐらいの時間だったら塾に行ってるのと大差ないと言って祖母を説得することができるかもしれない、と思った。祖父と母は相変わらず深夜の帰宅なので、僕としては祖母を説得できればなんとかなるわけだ。いざとなったら母を味方につければなんとかなるだろう。あの父と結婚した母なら、わかってくれるだろう。僕は案外早く大人に近づけるような気がして、ちょっと心が浮き立った。
僕の目論見はまんまと成功し、週に三日、アルバトロスでピアノを弾くことになった。成功の原因はやはり母から説得したことにあるだろう。僕の理屈は、歌舞伎役者は子供のころから舞台に立ってるじゃないか、というわけのわからないものではあったが、母は自分が夜仕事をしている引け目でもあるのか、僕が話をすると溜息をついて、まあこれも血筋なのかしらね、と諦めたようにしみじみと言った。
僕が生まれて初めて仕事としてピアノを弾きに行った晩、驚くべきことが起こった。
僕は店が開く六時ごろには行ってコウさんの作ってくれた夕飯を食べ、七時から三十分弾くことになっていた。僕は食事を終えてカウンターの隅でコウさんと無駄話をしていた。常連客がカウンターやテーブル席から僕の方を見ては、不思議そうな顔をしていた。コウさんは喉の奥で笑いをこらえながら、見てろ、あいつらこれからびっくりこくから、と僕に耳打ちして、こらえ切れずにくくくと笑った。ドアがぎいと鳴って開き、コウさんがいらっしゃいませ、と声をかける。僕はその方に目を向けて仰天した。ドアが開いて顔を覗かせたのは、黒木の長身だった。ところがそれはただの前兆でしかなく、黒木が入り口で手招きすると、そのあとに続いてぞろぞろと知った顔が入ってくる。それはクラスの連中だった。ねずみもいるし、大下と木下も、浜崎もいる。十人近くいただろうか。たちまち店内はほぼ満席になり、あとからやって来た常連客は、なにごとが起こったのかと目を丸くしていた。これは、へへへと笑いながら僕の隣に腰を下ろしたユリと山岸の仕業だった。コウさんは、客が驚く前に自分が驚いてしまうことになり、いったい、どうなってるんだこりゃ、とぼやき、ユリはいつかのようにいらっしゃいませと言いながらテーブルに水の入ったグラスを持って行ったりした。コウさんは、最近の学校教育ってのはどうなってるんだ、とかぶつぶつ言いながらも、機嫌よさそうに慌しく注文に応えていた。
僕は時間が来たのでピアノの前に座った。常連客はなにごとが始まるのかといった顔をし、テーブル席を半ば占領している、黒木とクラスの連中は、奇声を上げながら拍手をした。やがて拍手は収まり、コウさんがかけていたジョン・コルトレーンのCDを止めると、店内は奇妙な緊張感に包まれた。常連客たちがひそひそと話す声と、グラスや食器が立てる音だけが聞こえ、それは一種店内の静けさを強調しているように思われた。
僕は大きく息を吐くと、ピアノに映る自分の顔を見つめた。いよいよこれから僕の人生が始まるのだ、と思った。それは奇妙な話だけど、確かにそう思った。
そして、僕はまず左手でCの音をオクターブで力強く弾いた。
31
僕の奇妙な、そして忘れがたい一年に関する長い話もこれで終わりだ。
その後の話はかいつまんで話そう。
僕は高校に入ってからも、週に三度、アルバトロスで弾いていた。実際のところは、一日千円だけだけど、ギャラをもらっていたので厳密に言えば平日からバイトをやっていたってことになる。僕のピアノはいつのまにか評判になってしまい、地元のタウン誌に取り上げられたりなんかしてたので、学校には筒抜けだったと思うが、その辺は黙認してくれていたみたいだ。
春先に店で弾いていると、コウさんに髭面の中年男を紹介された。名刺にはプロデューサーと書いてあったが、堂本というその男は、コウさんの説明によると、市内にライブハウスを二軒ほど持っていて、いろいろとアマチュアミュージシャンの面倒を見ているらしかった。堂本は紹介されるなり僕のピアノを絶賛し始めて、僕はその風貌から言ってもなにやら胡散臭い男だな、とは思ったのだが、結果的には彼と出会ったことがその後の僕の人生を変えることになった。
堂本はしばしば店を訪れるようになり、夏が近くなると僕にひとつの提案をした。紹介をするから、夏休みに東京で演奏してみないか、というのだ。そのころには、堂本がキーステーションの深夜音楽番組でインディーズのバンドの紹介をやっていることなどを知っていたので、第一印象の悪さは既に払拭されていた。まあ、第一印象の悪さで言ったら、コウさんの右に出る者はいないけど。僕は堂本の話を聞いて、どうしてもやってみたいと思った。それは何故かと言うと、堂本が挙げた店の名前は、かつて父がよく演奏していた、新宿や六本木のジャズクラブだったからだ。堂本は、往復の交通費と宿泊代は自分の会社で持つから、と僕に持ちかけた。なにやらうますぎる話だなとは思ったが、父が演奏していた店で弾けるという魅力には抗い難かった。僕はとにかく前例を作ってしまおうと、最初はともだちの家に泊まるから、と母に嘘をついて、六本木の店で演奏した。演奏の前に、堂本は僕にテレビ局系列の音楽出版社のひとや、雑誌のひとを紹介し、一応取材兼ねてるから、と言われた。結局、堂本が番組で繋がりのあるテレビ局がカメラを回し、演奏後は雑誌のひとから簡単な取材を受けた。気がついてみると、僕の手元にはいろんなマスメディアの名刺が残り、どうやら堂本の狙いはこれだったらしいとそのときに気づいた。
正直言って、自分の名前をテレビや雑誌で見かけたときはびっくりした。おまけに、天才高校生ジャズピアニスト、などと書かれていたので、天才ってのは大袈裟だなあと思い、本屋の店先で手に取った雑誌を見てひとりで顔を赤らめたりしていた。
まあ、そんなことなので家にはあっという間にばれてしまい、散々お灸を据えられたものの、既製事実を作るという作戦は案外効果を発揮し、それに出演依頼が飛び込んでくるようになると、不承不承母も僕の遠征を認めざるを得なかった。
冬休みには高円寺で演奏した。かつて父がよく演奏していた場所で、僕も母と一緒に見に行っていたところだ。僕は堂本と一緒にチェックインした新宿のホテルからタクシーで向かう途中、早稲田通りを通っていることに気づき、かつて住んでいた中野のマンションの前で頼んで車を停めてもらった。僕はタクシーを降りると、マンションを見上げた。ちっとも変わっていなかった。僕はあの部屋に入ってみたい衝動に駆られたが、一階の郵便受けを見ると、当然のことながら見知らぬ苗字のネームプレートが付いていた。僕は自分のセンチメンタリズムに苦笑を浮かべ、肩で溜息をつくと、マンションを出てタクシーに戻りかけたが、ふと思いついて、あのガードレールのたもとを確かめてみた。そこにはいまだに針金でしばりつけられた牛乳瓶と空き缶があった。もう既に花はなく、ただ汚れた雨水が溜まっているだけだった。タクシーに戻ると、堂本は、なに、知ってるひとの家? と尋ねてきたが、僕はうまく答えられなかった。
高円寺での演奏を終えると、客席から真木と斎藤真紀子が現れ、僕は本当にびっくりした。二人は照れ臭そうに笑みを浮かべると、僕に小さい花束を渡してくれた。僕はホテルに戻る途中でまたタクシーを停めてもらい、その花束を牛乳瓶と空き缶に差した。
その後のことは御存知の通りだ。
僕は定期的に都内で演奏するようになり、いろんなメディアで少しずつ注目を浴びるようになった。某局で短いドキュメンタリーも放送された。そのうち、さる映画監督が演奏を見に来て、いきなり来年撮る映画の音楽やってくれないか、と言われたのだ。ちょうど高校三年の夏のことだった。
それで僕は大学に行かずに、ミュージシャンとしてやっていくことを決心した。
卒業と同時に僕は東京でひとり暮らしを始め、それと同時に映画もクランクインした。どういうわけか僕は役者としても出演する羽目になり、実際のところ、僕の役どころはピアノを弾く役だったので、映画の中で即興で弾いているものがそのままサウンドトラックになっている部分もあり、初めての映画音楽と言っても思ったほどの苦労はなかった。むしろ苦労したのは初めての演技の方だった。音楽に関しては、監督が僕にほとんど好き勝手にやらせてくれたのも大きい。もちろん、ちゃんとテーマとなるメロディを作って綿密にアレンジしたものもあるが、大部分は、ラッシュを見ながら僕が即興で弾いたものをベースにレコーディングを進めた。「死刑台のエレベーター」でマイルスがやったみたいに。そのころにはようやく僕もシンセサイザーやサンプラー、シーケンサーといった機材の使い方にも慣れていたので、即興で弾いたものにいろんな音をダビングしていくという方法を取った。僕は正式にレコード会社とアーティスト契約をした。かつて一枚だけ父のソロアルバムを出したところだ。堂本は僕に東京の事務所を紹介し、そこから紹介料をもらうことで、どうやら彼としてはビジネスになったようだ。
完成した映画は常に注目されている監督の作品として脚光を浴び、そのお陰もあってなんとか食って行けそうな目処はついた。
こんな風に書いていると、簡単にことが進んだように思われるかもしれない。しかし現実には、僕が大学には進まずに、東京でひとり暮しを始めるつもりだと話すと、母は難渋を示した。あんたを大学まで行かせようと思って働いてきたのに、と母はこぼした。これじゃあお父さんとおんなじじゃないの。その母のひとことで、僕はいつのまにか、一時はあれほど軽蔑していたにも関わらず、父のようなピアニストになりたいと思っている自分に気がついた。母は深い溜息を洩らしながら言うのだった。あんたの父親は、ダメな父親だった。そりゃあ、ピアニストとしては素晴らしいひとだった。でも、父親としては失格だったのよ。そりゃあそうでしょ、勝手に煮詰まって、勝手に逝ってしまうんだもの。僕は恐る恐る母に尋ねてみた。ねえ、母さん、父さんは自殺だったのかな? 母はもう一度深い溜息をつくと、まるで独り言のように呟いた。さあね、どっちだったのかしらね、あの日、居間のソファでずっと飲んでて、それからいきなり真由ちょっと来い、ってわたしを呼んで、寝室のローズを弾き始めたのよ。あんたはもう寝てて知らなかったと思うけど。マイ・ファニー・ヴァレンタイン。それは素敵な演奏だった。聴いててわたしは昔を思い出してちょっと涙が出たくらい。弾き終わると、あのひとはしばらく鍵盤に向かって黙ってた。肩を落として、なんか寂しそうに。それからぽつりと言ったのよ。なあ真由、ミツオがピアノやめちゃったの、オレのせいかな? って。それからふらっと立ち上がると、ちょっと出かけてくる、って。こんな時間にどこ行くの、ってわたしは訊いたけど、あのひとは弱々しく微笑んだだけで出て行った。ちょっと出かけてくるって、なにがちょっとなのよ。母の目に涙が滲んでいた。母は父のことを恨んでいるのだろうか。僕は訊いた。ねえ、母さん、父さんのこと好きだった? 母は笑って、馬鹿ね、当たり前じゃないの、と答え、その途端に母の頬を涙が一筋伝った。
僕はその晩、窓を開けて、ずっとやめていた煙草を久しぶりに吸った。机の引き出しの奥にしまい込んでいた煙草はすっかり湿気ていた。そのシケモクを深く吸い込むと、軽い眩暈がした。僕はゆっくりと煙を吐き出しながら、父のことを考えた。僕はいったいどれだけの言葉を父と交わしたのだろうか? いつかもそんなことを考えたような気がする。それは意外なほど少ないことにいまさらながら気づく。僕は一度も父と腹を割って話をすることがないままに終わった。それはもちろん、僕がまだ子供だったということもあるけれど。父は僕が大人になる前に、母の言葉を借りれば、勝手に煮詰まって勝手に逝ってしまった。やっぱり母さんの言うように、父はダメな父親だったのだ。僕はシケモクをもう一度吸い込むと、机の上のアルバムジャケットを眺めた。僕は父のようにジャズという狭いジャンルに拘るつもりはない。自分で自分の命を絶つような人間になるつもりもない。生きたくても生きられなかった奴だっているのだ。しかし、それでも僕はやっぱり父のようなピアニストになりたいと思うのだった。僕は自分の口から吐き出される煙が、夏の終わりの夜空に溶け込むように消えて行くのを見守りながら、父が最後に弾いたというマイ・ファニー・ヴァレンタイン、僕も聴きたかったな、と思った。
それからすぐに、東京から僕を預かることになった大手プロダクションのひとがやって来て、母と話をした。僕のマネージャーをやることになるひとと、彼の上司は、わたしらが責任を持ってお預かりしますから、と頑なな表情の母に向かって熱弁を振るった。母は眉間に皺を寄せ、にこりともせず、いかにも胡散臭げに彼らの話を聞いていた。僕はそのやりとりを傍らで固唾を飲んで見ていた。彼らの熱弁が終わると、母は一呼吸置いてから深々と頭を下げて、ミツオをよろしくお願いします、と言った。僕は唖然としてそれを見つめながら、親というのはつくづく不思議な生き物だと思った。
まあ、粗方こんなところだ。
来年ソロアルバムをリリースすることになっていて、ぼちぼち曲を作り始めている。これまでジャズピアニスト(兼俳優)というレッテルを貼られてきたので、そのイメージを払拭とまではいかないにしても、少々混乱させて面白がってみようと思い、半分はボーカルものにするつもりだ。多分にロックやR&B色の強いものになるだろう。一曲はもう決まってて、「夜のうた」を入れることになっている。幸い、いいボーカリストがいる。まだ女子大に入ったばかりの友人だ。
アルバムタイトルはもう決めてあって、「ナイト・ソングス」って言うんだ。
そうそう、映画のお陰でドラマの音楽やCMの仕事も入るようになった。この冬から流れるCMに使ったのは「エヴァーラスティング」だ。考えてごらんよ、今年の冬は、日本全国のテレビからショウジのメロディが流れるんだ。ゴキゲンだと思わないかい?
<了>