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「NOTS!」

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以前自伝にも書いたけど、高校時代に初めて組んだバンドの名前がどうしても思い出せなくて、ホントに頭の一文字もなんにも、イメージすら湧かなくて、長いことなんでかなあと思っていた。学園祭で演奏したとき、ストロボを焚かれて世界がストップモーションで見えたのは今でも鮮明に覚えているんだけど。メンバーの名前は覚えている。ボーカルはS藤、ベースはO場、キーボードはN丸、ドラムはS原。バンドを始めたのは部活動じゃないほうの(授業に組み込まれているほうの)ギタークラブで当時クラシック・ギターを弾いていた僕にS籐がバンドでギターを弾かないか、と声をかけたことがきっかけだった。確かディープパープルのSmoke On the Waterかなんかのギターソロの譜面を僕が初見で弾いたので誘われたのだった。ま、このバンドを始めたことが僕の人生を結果的に大きく変えたと思う。そんなバンドの名前がどうしても思い出せないなんて。

で、昨夜、ふとS籐は天童で仏壇屋を継いでいるはず、ということを思い出し、ネットで検索したら一発で出てきたのでメールを送った。そしたら今朝返事が来て、バンド名は「NOTS」だと分かった。NOTS。うーん、聞いても覚えてない。しかし、わりといいバンド名ではないか。なんで忘れていたのだろう。けして悪い思い出なんかじゃ全然ないのに。僕は普段道を歩いているときに英語で「maybe,or maybe not」とか、「It's not me」とかいう意味不明の独り言を言う癖があるので、いつもバンド名の周りをうろうろしていたことになる。バンドのメンバーとは高校を卒業して以来、ベースのO場を除いて一度も会っていない。O場は同じ大学に進学したのでカフェテリアとかでときおり見かけたのだが、2年ごろから中退したらしく行方不明になった。facebookで見るS籐は案の定おっさんになっていた。仏壇屋の店主にふさわしい貫禄と言えないこともない。考えてみれば、それまでクラシックとビートルズしか聴かなかった僕に、音楽の時間にレッド・ツェッペリンの「Stairway to Heaven」を聴かせたのもS籐だった。そのときはそれほど衝撃を受けなかった。ふーん、って感じで。

僕は当時エレキ・ギターを持ってなくて、高校のころは弟のギターを借りて弾いていた。僕が自分のエレクトリック・ギターを買ったのは大学に入ってからだ。まあ最初はギターを指じゃなくてピックで弾くなんて邪道だ、なんて思ってたから。高校のころは「山東(高校の名前)のジェフ・ベック」なんて呼ばれていたが、ジェフ・ベックには悪いけどあまりいい気分はしなかった。じゃあ誰ならいいんだよ、と言われるとそれもピンと来ない。僕の若かりしころはルックスは悪くはなかったけれど、ヨウタロウみたいな少女漫画に出てくるような美少年じゃなくて、ちょっとヒネたところがあり、例えばテニス部では女子高の生徒から同級生のミトベは「山東の藤堂さん」と呼ばれていたが、僕は同じ漫画「エースをねらえ」でも「山東のなんとかコーチ(病気で死んじゃう奴。名前忘れた)」とか呼ばれていた。自分では気づかなくても、見かけもどこか屈折してたのかもしれないし、内省的な部分が現出していたのかもしれない。まあそんなことはどうでもいいが、当時の山形ではバンドとか楽器をやってる人間自体が珍しく、僕らが楽器を持ってタクシーに乗ったりすると運転手に「おたくら芸能人?」なんて訊かれたものだ。楽器を持ってる=芸能人、という認識も今考えると相当ずれてるが。

最初にバンドの練習をしたときは、正直半信半疑だった。どうせみんな下手糞だろうと思ってたし、何しろ誰かとセッションすること自体が初めてだからまったく見当がつかない。で、確かレッド・ツェッペリンの「Rock and Roll」とか「Black Dog」辺りをやったような覚えがあるが、いざ演奏してみると意外といけてる。お、本物みたいじゃん、みたいな。ドラムのS原がカウントからイントロのフレーズを叩くと、お、ジョン・ボーナムみたいだ(コピーしてるのだから当たり前)、と驚いた覚えがある。とにかく、想像していたよりもずっと息が合っていた。僕はクラシックの難曲を何年も練習していたから、ハードロックを演奏すること自体はそれほど難しいことではなかった。そんなわけでバンドの練習はなんかいつもわくわくするものだった。人一倍シャイだった僕が人前で演奏するということも、クラシックの厳格さと比べるとロックのいい加減さが多少は救いになった。かなりテキトーでも構わない、というところがよかった。要するにそれっぽかったらいいのである。

この文章は途中まで朝書いて、途中から夜に帰宅してから書いているのだが、その間にS籐からメッセージが届いており、「NOTS」というバンド名はなんていうことはない、メンバーの頭文字を組み合わせただけだということが判明、そんなことならちょっと考えれば分かりそうなものだったのに、どうしてまったく思い浮かばなかったのか、まあ実際教えてもらってもピンと来ないぐらいだからしょうがないのか。とりあえずそのころの写真でも1枚のっけておこう。

左がドラムのS原、右が僕。ま、高校生なんてこんなもんでしょう。S原はまるで三菱銀行事件の犯人みたいだが。この写真の中の僕にあって、今の僕にないもの。それは若さだけじゃなくてもしかしたら「ロック」というものかもしれない。でもそれはけして退化でも後退でもない。NOTSはNOTの複数形だけど、否定することが肯定することにもなり得る。たぶん、すべてはこれでいいんだ。そんな気がするけど。

written on 23rd, apr, 2011

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