price

「値段と云ふもの」

...

先日のことである。地元の駅前の薬屋で、いま使っているのと同じシャンプーとリンスを見かけた。980円で売っていた。僕は愕然とした。何故なら、僕も980円で買ったからである。違う薬屋で半年ほど前に。このシャンプーとリンスは定価が3800円である。僕は値引き率と云う奴に弱い。それはもう、情けないほど弱い。半年前にこのシャンプーとリンスを見つけたときに、僕は買わなければ、と思った。なんとしても買わなければ。なにしろ、3800円のものが980円なのだから。つまり、僕は定価で買った人より2820円ほど得をしたことになる。これはいい買い物をしたと思っていた。

ところが、である。他の店でも同じ値段で売っていると云うことは、つまり、3800円で買った人など存在しないのではないか、と思ったのである。僕のお買い得感などと云うものは所詮僕の想像上のもので、実は定価などあってないものだ、と。

大体に於いて、僕はこの乗りでいらないものを買ってしまう。実を云うと、正月に福袋なるものを見るたびに、買いたくてうずうずしてしまうのだが、そこはそれ、中身の知れないものとなるとさすがの僕も二の足を踏む。おまけにちょっと恥ずかしい。故に、僕は福袋を買ったことがなかった。ところがとうとう今年の正月は、生まれて初めて福袋なるものを買ってしまった。理由はと云うと、デカかったからである。まあ、帰って開けてみると、案の定半分はいらないものだった。確かに、定価を合計するとかなりのお買い得と云えないこともないのだが。

そんなわけなので、僕が買うコンピュータとか、オーディオとか、AV機器はと云うと、いつも型が現行のものよりひとつふたつ古いものである。もしくは中古である。定価19万8000円のところを3万9800円、などと云うものを見ると、もしかしたらこれを買わないと一生後悔するかもしれない、などと思ってしまうのだ。だから僕の部屋にはいわゆる最新のものと云うものは本などを除けばほとんど無い。もうセコハンとか現品限りのオンパレードのようなものである。考えてみれば、以前車に乗っていたときも、新車というものは一度も買ったことがない。まあ、金を出して買ってきていると云うだけで、燃えないゴミの日に拾ったものと暮らしているのと大差ない。しかしながら、時折それらの時代がひとつ前の家具やら電化製品やらを見ながら、これは7割引で買ったのだったな、とか、こんなデカい家具を一万円でおつりが来る値段で買ったのだった、とか思い出して独りほくそえむ僕が居るのだった。ま、おばさんのようなものである。

written at 31st, jul, 2001

back