religion

「新興宗教」

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どういうわけか、いつも近所に新興宗教の建物がある。これもなにかの縁なのか、それともそれだけ世に新興宗教なるものが多いということなのか。

とは言うものの、単に今まで住んでいたところの近所に大手新興宗教の建物があって、たまたま今度引っ越したのが某新興宗教の建物の隣だった、というそれだけのことなのだが。まあ、ついてまわってきているわけでもあるまいし、単なる偶然と言えばそれまでだ。

前回は神道系だったが、今回は仏教系だ。なので、鐘太鼓を打ち鳴らすわけでもないので特にどうということはない。最初は単に超モダンな寺だと思っていた。しかし、朝昼晩問わず、やたらと人の出入りが多いので、ネットで調べてみたら新興宗教だったというわけである。それによると、有名人の信者が多いことでも知られているらしいが、ここでその名前を出すわけにもいかない。まあ、実際、静かなもので、なんの被害も影響も被ってはいないのだが、なにやら気になることは確かである。

先に書いたようにとにかく人の出入りが多い。それも、皆どこか公民館にでも出入りしているような晴れがましさで、いわゆる後ろ暗そうなところはなにもない。そんなところが僕にはかえって奇異に思えてしまうのだ。いったいこの明るさはなんだろう。彼らがなにかにすがらなければならないほど切羽詰っているようにはとても見えないのだ。それが御利益なのです、とでも言われそうだが、どうも納得がいかない。新興宗教というのは、それしか頼るものがなくなった人々が集う場所だと思っているからである。行き場を見失った人が導かれてしまうもの。つまりは、僕に言わせれば、自分を見失った人が集う場所だ。

してみると、妙に安心しきっているように見える彼らは、実はすっかり人に委ねてしまっているが故なのかも知れず、僕の感じる違和感もそこにあるのかもしれない。それに比べると、僕という人間は日々不安を覚え、迷ってばかりだ。でも、生きるってことはそういうことなんじゃないか、などと思ってもみたりして。安住の地がそう簡単に見つかってしまってよいのか。昔話のおじいさんとおばあさんのように、幸せに暮らしましたとさ、とひとくくりに省略されてしまうような人生って。いとも簡単に一元化されてしまう人生って。

「神」を信じることと、宗教を信じることは別だと思う。僕自身、宗教はもちろん、特に神や仏を信じているわけではないが、ときおり神の存在を意識することはある。別に仏様でもかまわないが。つまり、なんらかの大きな意志のようなものを感じることはある。それは創造主かも知れないし、ただの宇宙や時間といった物理的・科学的なものかもしれない。宇宙の膨張やビッグバンというもの自体が、自分の想像や理解の埒外にあるものなので、それこそ神と呼んでもいいぐらいだ。例えば、なぜ時間は後戻りできないか、などという命題は、運命や宿命という言葉に簡単に置き換えられる。

一見なんの迷いもなく清清しい顔でゴージャスな建物に出入りする人々。彼らが信じているのは実は神や仏そのものではなく、それを語る人間である。僕が胡散臭く感じるのはそのあたりだ。僕の知る限り、この地球上で嘘を吐くものは人間だけだからだ。

written on 15th, nov, 2002

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