ビデオに録画していたドラマ「リップスティック」の1回目を見たのだが、ここのところの野島伸司脚本のドラマは一様にエキセントリックでペシミスティックな印象だ。今回がどうなるのかはわからないが、希望よりも絶望が先に立ち、何より登場人物がみな破滅に向かって突き進んでいるように見える。
「滅びの美学」みたいなものが日本人の血には流れていて、考えてみると古くは敗北した側が一族郎党みな自害することを潔しとした国である。もちろん、日本にしかないわけではなく、例えば映画で言うと「死刑台のエレベーター」とか「太陽がいっぱい」とか、枚挙に暇が無い。しかし、キリスト教圏の場合はどちらかと言うと、原罪に代表される罪の意識が強く感じられ、報いといった因果関係が強く感じられるが、日本人に特に強く感じるのは滅びることそのものに美しさを見出すということ。三島などは最たる例である。
考えてみると映画「失楽園」を出すまでもなく、日本人はやたら心中したりする人種なのだ。かたやアメリカの場合はつい先日の乱射事件を出すまでも無く、無理矢理道連れにしたりする。無理心中型である。そう言えば、僕の好きな邦画にも破滅に向かう映画が多い。長谷川和彦の「青春の殺人者」しかり。柳町光男の「さらば愛しき大地」「火まつり」しかり。池田敏春の「人魚伝説」しかり。黒澤の「乱」しかり。小説で言うと、最近では書いた本人も言っていたが「不夜城」が救いの無い話だ。この破滅へと突き進む話は妙なカタルシスがあったりするから不思議である。
待てよ、タルコフスキーの一連の作品や、ポランスキーの作品や、僕の大好きなテレンス・マリックの「天国の日々」あたりは滅びの美学を感じさせるな。「天国の日々」は映像が無茶苦茶美しいのでそう感じるのだろうか。「ヴァニシング・ポイント」も破滅へと突っ走る映画だったが、何故かパワフルで爽快なのはアメリカだからか。「テルマ&ルイーズ」も同様。なんだ、ちっとも日本の専売特許じゃないな...。それにしても破滅や崩壊や絶望をテーマにした文学や映画の何と多いこと。もしかしたら人間は滅びる宿命を帯びていて、それをよろこびと感じるように作られているのかも知れないな...。
子供の頃、教科書やら何やらで「レミングの行進」を読んで不思議だなあなどと思っていたのだが、気がついてみると自分が破滅的な人間になっている。すべからく勝負事に関わる人間は常に破滅と背中合わせなわけで、元来破滅的な人間だと思う。そもそも安定を好まないのですぐに破壊する行動に出る。去年会社を辞めるときに社長が「どうしてそう辛い方ばかり選ぶかなあ...」としみじみ言っていたのを思い出す。その実、どこかで安定に憧れていたりする。何やら妙なジレンマを抱えながら、危ないバランスの上に居たりする。
それで胃酸過多になってりゃ世話ないか...。