someday,sometime

「アナザーサイド・オブ・ザ・ムーン」

また好き勝手なこと書いてしまった。すまん...

ネット上の個人のページを辿っていくと、何時の間にかセンスのいい洗練されたページに行き当たる。そこのリンクをさらに辿って行くと、更に洗練されたページに辿り着く。そうしている間に、何時の間にか僕は自分がゲイの人達のページを渡り歩いていることに気がついた。もちろん、僕はゲイでは無い。彼らには申し訳ないが、人間としては何の偏見も抱いていないつもりではあるが、ことセクシュアルなことに関しては生理的に受け付けないのだ。染色体の都合で男と女に振り分けられる僕らは、恐らく完璧に振り分けられているわけではないのだろう。同性愛の傾向などと言うものは恐らく誰しもが潜在的に持ち合わせているもので、同性愛で無いものが彼らに抱くある種の嫌悪感と言うものは、一種自分が持ち合わせている芽が発芽してしまうことに対する恐れも含まれているような気がする。染色体がXだけ、もしくはYだけの人間などいないわけで、もしいたとしてもモロー博士の島にいる獣人のようになってしまうだろう。

ゲイとしてカミングアウトしている人達と言うのは、一種男性と女性という二つの性の間に危ういバランスで存在しているような不安定さがあって、それが繊細な感覚というものを生み出すのだろうか?先日覚醒剤で捕まったMもゲイであることがわかってしまった。本人が隠していたのかどうかは定かではないが。彼は、優しくて繊細な歌詞の代名詞として、僕が作詞教室等で事あるごとに例に出していたアーティストである。そう言えば、エルトン・ジョンがゲイであることを明らかにしたときも、知り合いと何だあの歌詞は男に対して歌っていたのか、興ざめだなどと話したことがある。ゲイの人達には申し訳無いけど。結局、歌詞などと言うものは、小説などと違って限られた言葉で多くを伝えるという傾向のものであるから、聴き手が勝手に感情移入したり、己に当てはめて聴いたりする。その意味では、声に乗って放たれた瞬間から既に作者の元を離れているものなのだから、詞を書いた人間がゲイであって本来同性に対するメッセージであったとしても一向に構わないのだ。それにしても、以前前に勤めていた某大手レコード会社に遊びに行ったとき、かつての上司がMが移籍して自分のセクションなのだと自慢していたが、さぞかし大騒ぎだったんだろうな...。

ふと小説の書き出しがアタマに浮かんだ。ゲイを主人公にした小説だ。主人公の名前は何にしよう。仁(じん)というのはどうだろうか?知り合いの名前ではあるが、なかなかゲイっぽいではないか。そう言えば「エースを狙え」の宗像コーチの名前でもあるし。僕のいままでの経験を話に活かすことも考えて、主人公の仁はアーティストということにしよう。なかなかにタイムリーでもあるし。よしよし。書き出しはこうである。

ゲイの仁は芸能人である。...

...

ヤメた。

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