久しぶりに近所のラーメン屋でネギラーメンを食べた。しかし、何故ラーメン屋と云うのはAMラジオがかかっているのだろう?そう云えば、赤坂で僕がひいきにしている喜多方ラーメンでは何故かいつも懐メロの有線がかかっていて、ひまわり娘の後にフィンガーファイブがかかったりしていた。
さて、ネギラーメンを食べていると、ラジオでよくある「この曲を教えて下さい」と云うやつをやっていた。リスナーと電話で話しながら、鼻歌を唄ってもらったりする例の奴である。何やらもう仕事してます、と云う女の子が、CMでかかっていた曲が何の曲か知りたいんですけど、と云っている。パーソナリティがジャンルは?と訊くと、「ジャンルってなんですか?」と尋ねる。唖然。とにもかくにもどうやら洋楽らしい。じゃあ、鼻歌で唄ってみて下さい、とパーソナリティが云うと、彼女は歌い出しを唄い始めた。なんだ、スティーヴィー・ワンダーが「Overtime...」と唄ってるヤツじゃん。正確なタイトル知らないけど。ところが、驚いたことに、このパーソナリティはわからなかったのである。唄い出しを正確に唄ったにも関わらず。僕なんかにしてみれば、スティーヴィー・ワンダーなんて、曲名はともかく一番わかりやすいシンガーなので少なからず驚いた。ジャンルと云う言葉すら知らない阿呆社会人はともかくとしても、こんな番組のパーソナリティをやっている人間がわからないなんて。日本でも浮世離れに関してはいいセンいっている筈の僕ですら知っているCMだが。それとももうスティーヴィー・ワンダーも過去の人になりつつあるのか。ま、斯く云う僕も、ちょっと前にパチンコ屋で聞こえてきた曲をどうしても思い出せなくて、ドリンクサービスの女の子に「これ誰の曲だっけ?」と訊いたら、「安室奈美江ですか?」と云われて赤面した覚えがあるので、目糞鼻糞を笑うとはこのことである。
それで例の如く、大昔のことを思い出した。小学校の授業中に、ある日先生が「モーツァルト知ってる人」と訊いたら、手を上げたのが僕を含めて4人ぐらいしかいなくて目が点になったことがある。まあ、考えてみると僕の母は音楽の先生をやっていて家にピアノがあったので知っているのは当たり前だったが、何しろ田舎の学校で当時はクラスの半分ぐらいは農家の子供だったので無理も無いのだが、モーツァルトを知らない人がこんなにいると云うのは少なからず驚きだった。手を上げると云えば、もっと驚きだったのが、中学校のとき。水泳の授業に参加しない女の子が多かったのに腹を立てた担任が、突然、「今日生理の人」と手を上げさせたのだ。もちろん、面白がってやったわけではなく、憤りの延長線上だったわけだが、なにしろ保守的な田舎のそれも大昔の話であるから、当時の僕らは驚いた。勢い、男子生徒までも何故か緊張してしまう始末。このときも何故かおずおずと手を上げた女の子は4・5人だった。平然と(たぶん無理して)手を上げた子もいたが、大半は顔を真っ赤にして。いま考えるとこんなのセクハラだよなあ。
そう云えば、最近はどうなのか知らないが、昔の小中学生の定番だったのが「考え中です」と云うヤツである。とにかく、授業中に指されてわからないときは考え中。ほんとに考えているヤツも考えていないヤツも考え中。百年経っても考え中。一時国会で定番になった「記憶にございません」と似たようなものだが。しかし、何故日本人は素直に「わかりません」と云えないのだろう。待てよ、先の「ジャンルってなんですか」発言の女の子を思い出すと、最近はわかりませんと云うのだろうか。アメリカの大統領は?カンボジアの首都は?フランスの通貨は?えー、わっかんなーい、ってとこか。