日テレのドラマ「永遠の仔」なのだが、天童荒太の原作が例の「このミス」の一位だったので読んだものかどうしたものかと思っていたこともあり、何よりはじめから見てしまったのでずるずると見ている。
しかしこのドラマ、坂本龍一によるタイトルバックテーマ、特にグリッサンドがぎゅるぎゅるっていう弦のアレンジは素敵なのだが、どうして出てくる奴出てくる奴みんな四六時中徹頭徹尾トラウマを引きずりまくっていじけまくっているのだろう。それがテーマだと云ってしまえばそれまでだが、近年これほど登場人物が全て好感の持てない人物ばかりと云うドラマも珍しい。大体いくら幼児期のトラウマとは云え、こんなに毎日毎日深刻に過去を引きずっている人がいるのだろうか。死刑囚でももう少し陽気な気がするが。大体なんで葬式みたいな音楽をずっと聴かされなきゃならないのか。
そんなわけで分厚い上下巻二冊の原作は読む気が失せた。ドラマ同様、延々と過去がフラッシュバックして辛気臭さを手打ちそばのように引き伸ばしていることが予想されてしまうもの。
特に若い頃のトラウマや環境によるコンプレックスがいかにその人に影響を与えるかぐらいは僕にだって分かる。僕が以前ちょっとだけつきあっていたことのある、元銀座のホステスでかつ元シャブ中で入院歴有りでワリと最近もそれ関係で拘留歴有りの現在愛人業と云う、こう書いてみただけでもそこそこインパクトのある女の子がいるのだが、彼女は後背位でセックスが出来なかった。彼女は中学生のときに輪姦されていたのである。確かに精神的に不安定になったりもするが、基本的には楽天的に生きていて、だからこそ愛人なんてやれてるわけだが、トラウマは無意識下の潜在意識の中に在ってじわじわと彼女の人生を形成してはいるものの、顕在化するのは体験と直結する体位みたいなところである。別に毎日思い出しているわけでは無い。と、なんかだんだんすごいこと書いてるような気がしてきたが、もしこれ読んでたらごめんねー。
ついでにもう一人、以前ソープランド嬢と知り合ったことがあって、別に何も無かったのだが話を聞いてみると、父親が刺青の彫り師で、もちろん家にはやくざが四六時中出入りしているし、水商売の母親はその頃から当時に至るまで男を作っては出ていったりしていたらしい。だから、中学の頃に家出→芸者→愛人→ソープランドと云う彼女の人生も、なるほどと思うしかないのである。で、彼女も別に自分を世界で一番不幸だとか思っている気配は毛頭無くて、結構能天気に生きていた。ちなみに言い訳しておくと、僕は一度もソープランドと云うところに行ったことが無い。
僕にだってトラウマらしきものやコンプレックスは無いでもない。ただ、幸いなことに僕と云う人間は、短いタームでは嫌なことやたらと覚えてるし何時までも後悔するしなかなか忘れないのだが、ちょっと年数が経つところっと忘れてしまうほうなのだった。ただ、トラウマになるようなことって他人のことは書けるが自分のこととなると書きたくないようなことばかりだしそもそも思い出さないようにどこか封印してしまったようなことばかりである。
例えば、僕の背中には中学生のころからあざが出来て、正確には色素の偏りらしいのだが、若い頃はずっと気になっていて僕のコンプレックスのひとつだった。二十代のころに当時元祖サーファーギャルとして受けていた女優のレコーディングをしていて、彼女の事務所の人間から役者をやらないかと誘われたことがあるのだが、あ、ここんとこ手前味噌、僕のアタマの中では役者→脱ぐ→背中にあざがある→ダメだ...と云う、田舎の純情少年の延長そのままの飛躍しまくった三段論法が即座に浮かんで踏み切れなかった。そう云えば最近は全く気にしないし意識もしたことが無い。たぶん人前に裸をさらすような仕事でもしない限り、そんなもの誰も気にしないと云うことが完璧に分かったからだ。
ああ、違う違う、そんなものじゃないんだ。たぶんもっと昔々のこと。河原で捕った魚を年上の子供にカルシウムを入れられて殺されたこと、弟と二人で本屋で万引きしてしまったこと、粗暴な同級生に怯む自分に気付いたこと、何故か弟の首を絞めてしまったこと、数々の嘘...まだまだたくさんあるのだ。そして僕は忘れた振りをしているだけなのだ、きっと。だからこそトラウマなのだ。