膨張し続けるという宇宙の外側には何があるのだろう、と僕は訊きたい。それは、「無」なのだろうか? だとしたら、「無」とは何なのか、僕は問いたい。宇宙の外側は「死」に似ている。それはつまり、逆に言えば宇宙は人生、世界といったものに似ているということでもある。世界はあらゆるもので満たされている。無数の人間、動物、植物、昆虫、あらゆる生物がひしめき合っている。あるものは老いさらばえ、あるものは生まれ、成長する。あるものは滅び、あるものは増殖を続ける。言ってみれば、我々一人ひとりがひとつの宇宙であるのだ。我々の個々の思考、行動、すべてがひとつの宇宙を構成している。だから、宇宙というのは膨大な宇宙の集まりである、とも言える。
宇宙は広い。途轍もなく広い。それは想像を絶するものだ。しかし、その外側はそれ以上に広いのだ。それは我々の想像の埒外にある。宇宙を包含するものはまたそれも宇宙なのであろうか。とすれば、「死」もまたひとつの宇宙である。つまり、我々は無限の連鎖の一部である、と言っていいのだろうか。我々自体が無数の宇宙を包含する、ひとつの巨大な宇宙であると言っていいのだろうか。
written on 8th, sep, 2007