wonder-ful world vol.16

「不思議なこと その16 トゥルー・ストーリーズ」

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ポール・オースターは僕の大好きな作家の一人である。その新作、「トゥルー・ストーリーズ」は、彼のエッセイ・散文を集めたものだ。タイトル通り、すべて実話である。内容は大まかに分けて二つに分けられる。ひとつは、彼がいかに貧乏な下積み時代を過ごしたか、という話。これは、彼の作品を読んだことのある人にはとても面白く読める。なぜなら、日本で言えば村上春樹、村上龍といった作家と同世代の、このとても洗練されたヤッピーの典型のようなイメージのある作家が、僕らと同じ、もしくはそれ以上の貧乏な時代(それも結構長い)があり、僕らと同じような愚かな過ちを繰り返してきたことに、どこかほっとしたりするのだ。つまりは、まるで自分の話のようなのである。で、読んでみて改めて彼が典型的なアメリカ人なのだなと気づき、意外な驚きを覚える。考えてみれば彼の小説の舞台はいつもアメリカであるし、有名な三部作もニューヨークを舞台にしたものである。いわば、もっともニューヨークっぽい作家とも言えるのだが、どこかヨーロッパ的な洗練されたものを感じていたことに気づく。それは彼がユダヤ人だということにも関係しているのだろうか。そういえばウディ・アレンもユダヤ人で、典型的なニューヨーカーである。オースターの代表作であり、僕の大好きな「ムーン・パレス」でも主人公は無一文同然となってしまうのだが、この小説がオースターの中でもとても読みやすい小説になっているのは、彼の貧困時代を投影しているからなのだろうか。

もうひとつ、この新作の核になっているのは、人生はなんとも不思議な偶然で満ちている、ということだ。ここでは実際にオースターが体験した、単に偶然と言ってしまうにはあまりにも因縁めいた、不思議としか言いようのない経験が連ねてある。それは小説に書いてしまえばとても都合のよすぎる符合としか思われないような出来事ばかりだ。だから敢えて「トゥルー・ストリーズ」と銘打ってある。とにかく、本当の話なのだ、と。こういったなんとも不思議な符合、因縁話、偶然といったものは誰しも一度は経験しているものである。それは虫の知らせと言ったり、神や運命といったものを引き合いに出したりしてなんとか辻褄を合わせようと躍起になることであるが、それだからこそなんとも説明がつかない、不思議なことなのである。たとえば、以前書いたこともある、僕が高校生のころ、癌で臥せっていた祖母の枕元で、ある晩不意に大泣きしてしまい、その翌朝に祖母が亡くなったこと。わずか十分ほどのあいだにまったく同じ光景を見るというデジャ・ヴュ。こういうことはまったくの偶然と言ってしまえばそれまでだが、その確率と因果関係を考えると、そこにはなにかが介在していると思いたくなるのである。そんなとき、神や運命というものは必要とされるのだ。そしてそれはときには慈悲深く、ときには気まぐれでシニカルだ。そんな存在を引っ張り出さなければならないほど、人生というもの、真実というものは不思議で不可解なものなのである。

written on 11th, mar, 2004

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