wonder-ful world vol.9

「不思議なこと その9 生姜焼き定食」

僕が貧乏のプロフェッショナルだったころ...

何度も書いているように、僕が東京に出てきたのは大学に入ったときからで、18歳のとき。初めて住んだのは中野の下宿(アパートじゃなくて大家さんのうちに住むやつ)だったのだが、同じ階に大家さんが住んでいると何かと気を使わなければならなくて結局半年後に高円寺のアパートに引っ越した。

結局、それからの学生時代を含め、レコーディングで深夜帰宅の毎日になってしまうまでの約8年ほど、僕は高円寺に住んでいたのであった。考えてみるとそのあとに現在のところに引っ越してきたわけで、もう13年ぐらいになる。どおりで風呂釜が壊れたりする訳である。

この高円寺時代に2度ほど引越しをした。最初は駅から5分ぐらいの4畳半のアパート。次は駅から20分の6畳のアパート。その次はやっぱり駅から20分の6畳と4畳半の風呂付きのアパート。こうして見るとだんだん駅から遠ざかっているようだが、要するに部屋の広さだけグレードアップしていったつもりなのである。駅から遠いのはその分家賃が安いわけで、当時の学生は4畳半一間のアパートに住むのがスタンダードだった。かぐや姫の「神田川」(古い...)を思い浮かべてもらえばいいと思う。実際、学生時代につきあっていた彼女が泊まりに来たとき、二人で洗面器を持って銭湯に行った帰り道に彼女が「これがやりたかったんだよね」と言っていたのを思い出す。

この中で一番長く住んだのはたぶん2番目の6畳のアパートだったと思う。前述の彼女とつきあっていた時代でもあり、いろいろ思い出が詰まっているので単なる勘違いかも知れないが。ほとんど隣の駅の阿佐ヶ谷との中間でもあり、西武新宿線との中間でもあり、古い人なら知ってるかもしれないが金属バット事件だったかピアノ殺人事件だったかの走りになった事件の起こったそばである。このアパート時代は要するに学生時代の思い出が一番多いのだ。

そう言えばビールの空き箱でベッドを作った(貧乏くさ...)のもこの頃。クラスのやっぱり一人暮しの友達に聞いて、夜中に友達と二人で近所の酒屋を何往復もしてビール箱を盗んできてベッドを作った。生まれて初めて食中毒になって、夜中にいきなり吐いたのもこのベッドの上である。生まれて初めて空き巣に入られたのもこの頃。たぶん下着泥棒が間違えて入ったのだと思う。何も盗られなかったから。

モルモットを衝動買いして飼っていたこともある。かわいいのだが、10分に1回ぐらい小便と大便の混ざったやつをするので臭くてかなわなかった。終いには畳が腐った(笑)。このモルモットを飼っているときに、駅前で生まれたばかりの猫を拾ってきて、同じ檻に入れておいたら一晩でモルモットに円形脱毛症が出来ていた。大きさはモルモットの方が4倍ぐらいあったのだが、所詮は猫とねずみ、血は争えないものである。

この時代で思い出すのは、近所に「丸新」(いまもあるのかなあ...)という中華料理屋というか定食屋があって、そこの生姜焼き定食である。とにかく安くてうまかった。確か420円だったと思う。引っ越してきてすぐに見つけたのだが、いま考えるとほんとに不思議なのはとにかく毎日食べていたのだ。当時弟も高円寺に住んでいてよく二人で行ったりしていたのだが、ほんとにピークのときは2ヶ月間ぶっ続けで毎日食べていた。同じものをこれだけ食べ続けたのは後にも先にもこれだけである。

まことにもって、貧乏学生とは不思議な生き物である...。

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