A

大学の仏文の同級生にAがいた。Aは眼鏡をかけて痩せてひょろっと背が高く、男性だがおかっぱ頭のような髪型をしていた。今でいうロン毛にあたるとは思うが、当時はそれが普通だった。実際、僕の髪は当時もっと長かった。

Aにはこれといった特徴がない。前述した外見から気弱そうに見えたが、言い方を変えれば優しそうと言えなくもない。総じて、押し出しが強くなく、目立たないタイプの人間だ。

Aは長野県の松本の出身だった。考えてみると僕は学生時代はずっとバンド活動にもっぱら没頭していたので、Aとことさらに親しかったというほどのことはない。ただ、僕も山形の出身でお互いに田舎者というコンプレックスを抱えた者同士だからなのだろうか、それなりに交流はあった。彼はいつまで経っても「~ずらぜ」みたいな信州弁が抜けなかった。

たぶん一年生のときだと思うが、僕が高円寺の四畳半のボロアパートに住んでいたときに、Aは隣の阿佐ヶ谷の同じくボロアパートに住んでいた。それでAのところに遊びに行った記憶がある。

いまでもよく覚えているのは、Aのところに遊びに行ったときにAが夕飯を作るというので、キャベツを切り始めたことだ。僕は自炊をほとんどしたことがなく、キャベツの切り方ひとつ知らなかった。Aはキャベツを半分に切って、そのまま包丁で削るように千切りにしていった。キャベツの切り方に関しては一枚ずつ剥がして重ねてから切るのだというように諸説あるが、ともあれそのときはああキャベツというのはこうやって切るのかと思ったのだった。だが僕が覚えているのはそれだけで、何を話したかなどは記憶にない。

まったく押し出しが弱くて気弱そうに見えるAだが、クラスで一番背が小さい部類のポッポちゃんというあだ名の女の子と付き合っているようだった。前述のようにAは背が高かったので、二人の組み合わせはその昔流行った「小さな恋のものがたり」という漫画を想起させた。

とはいうものの、A自体が実に積極性を欠く人間なので、本当に二人が人並に付き合っているのかどうかは謎だった。ただクラスの共同認識として、なんとなく二人は付き合っているんだろうな的な空気だったというだけだ。

その後僕は卒業までひたすらバンド活動に勤しんでいたので、Aとも疎遠になった。

そして、卒業してから20年近く経ったある日、たまたまミクシィかなんかで連絡が取れたやはり仏文の同級生女子のYさんと渋谷で会ってお茶を飲んだ。なんでそんな話になったのか分からないけれども、彼女の話によると、Aは30歳のときに自殺したということだった。

不思議なのはポッポちゃんならともかく、東京に住んでいるYさんが何故Aの自殺を知り得たのかということだが、ともかくもAは卒業して松本に戻っていたということである。ということはポッポちゃんともそれっきりになっていたのだろう。

僕はAが自殺したと聞いても驚かなかった。Aは常に存在感が薄く、うっすらとネガティブなオーラのようにコンプレックスを常に抱えている男だった。だから自殺をしたと聞いてもそれほど不思議にも思わなかった。

しかし今になって思い返してみると、一体Aに何があったのか、どうして人生を早々に断ち切ろうと思ったのか、まったく分からない。太宰治のように自殺が趣味レベルにまで達する人間ならともかく、自殺未遂ではなく本当に自殺するとなるとかなりの実行力が必要だ。そして僕にはAがそこまでの(ネガティブな)実行力を持った人間だとは思えないのである。

僕自身うつ病になってもう20年以上になるから、Aも同じような極度の抑うつ状態になったのかもしれない。それは彼の性格からしても大いに考えられる。しかし本当に自殺する人としない人の間には物凄く大きな違いがある。前述のように実行力、そして勇気が必要だ。僕にはAがそういう勇気を持った人間には思えない。

具体的にどうやって自殺したのかまではYさんからは聞けなかったが、なんとなくではあるが首を吊ったのではないかとほぼ確信している。あくまでも想像に過ぎないが。いずれにせよ、自殺というのは弱い、本当に弱い人間が見せる強い意思表示なのだ。最後に振るった勇気がそれでは、なんともいたたまれない。

僕の人生の中で、知っている人間が自殺したのはAを含めて三人。一人目は子供のころ、町内に住んでいる叔母がナイフで自殺した。次がA。そしてその次が大分後になって作曲家の井上大輔(忠夫)さん。

叔母は子供のころなのでどういう人だったのかは皆目覚えていない。ただある日叔父がやってきて、叔母が自殺したと言ったのだった。井上さんの自殺には驚いた。彼の奥さんは酷い躁うつ病で、うつ状態のときは入院しなければならず、逆に躁状態のときはスタジオまで一緒に連れてきて、いつも一緒にいる感じだった。井上さんはいつも穏やかな笑みを絶やさず、人当たりが物凄く柔らかい人だた。報道では目の病気を苦にして首を吊って自殺したということになっているが、何度も一緒に仕事をした僕にはちょっと信じられなかった。そういう弱い人にはとても見えなかった。もし原因があるとしたら奥さん以外に考えられなかった。そして不思議なことに井上さんが自殺した半年後に奥さんも亡くなったのだった。

ふと時間を逆算してみると、Aが自殺したのは90年ごろ。そのころ、僕はオリコンのチャートの一番上に名前が初めて載ったころだった。つまり、ある意味僕は人生の頂点にいた。そのころ、Aはひっそりと自らの命を絶ったのだ。

自殺して失うものは山ほどある。だが自殺して得られるのはなんだろう? もしそれが安息だとしても、死後に安息などあるのだろうか? 例え本当に安息が得られたとしても、それは自殺する一瞬のことに過ぎないのではないか。その一瞬が、果たしてすべてを投げ出すほどの価値があるのだろうか。早々と人生を終わりにするほどの価値が。

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