母が亡くなる数日前、母はもう声に出して喋ることは出来なくなっていたが、それでも俺は母に話しかけ続けた。すると、母は俺の左手の手のひらに人差し指で文字を書いた。それはかたかなの「キ」あるいはひらがなの「き」のように思えたので、「キってなに?」と母に訊ねたが前述のように母は話すことが出来ない。母が文字をなぞったことに動転して、「キ」の後はなんと指をなぞっているのか分からなかった。もし、最初の文字が「き」で合っているのだとしたら、母は何を伝えたかったのだろうか? 「き」から始まる言葉。「今日」「昨日」「来て」あるいはそのものの「木」。

いずれにしても、それが母の最後のメッセージとなった。つまり、母は確かに俺に何ごとかを伝えたかったのだ。もうそれを確かめる術はない。なんだったのかなあ。

母は病院に移ってから、点滴だけで7カ月と21日間生きていた。その間毎日面会に行っていたのだが、一度だけ、俺が病室に入ったのを見て(ある程度明確な)笑顔を浮かべたことがある。それが救いなのだが、何故かその笑顔を思い出せない。あのころは既に母は大分衰弱していたので。

確かに、確実にあった大切な出来事なのに、何故かその姿はぼんやりしている。

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