悪霊

12月15日、日曜日。

埴谷雄高は何故「悪霊」と書いて「あくれい」と読ませたのだろう? 冒頭の数ページを読んだだけではその真意は分からない。それに、そもそも未完なのだった。

そろそろ種明かしをしてもいいだろう。彼女は境界性パーソナリティ障害を患っている。そのせいで執着し、依存しパラノイアのようになる。そして違う人格が現れる乖離がときどき起こる。会っているときの彼女はいい彼女だが、会っていないときの彼女は恐らくその執着のために悪い彼女になる。悪いときの彼女は悪い記憶だけを繋いで覚えている。ちょうどうちの母親が統合失調症を発症してまったく別の邪悪な人格になったのと似ている。その出現頻度は違うけれど。これを背負い克服するのは容易ではない。

これを途中まで書いたところでまた電話で話すことになった。どうやら逃げ道はないようだ。放っておいたら彼女は完全に壊れてしまうだろう。どのみちこれを通るしかなさそうだ。たぶんそれが運命であり、人生なんだろう。こういうとき、村上春樹ならやれやれと言うんだろうな。

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