10月5日、日曜日。
9時35分起床。
鹿島 0-0 G大阪。5連勝中というG大阪は強かった。しかし、鹿島は終盤PKを得る。それを18歳の徳田誉が蹴って止められてしまった。決めていればリーグで2位以下に勝ち点7差になるという、とんでもなく重要なPKだった。試合後、徳田は号泣していた。
徳田がPKを失敗したことはいろんなことを考えさせられた。最初荒木遼太郎が蹴ろうとしたのをベンチの指示で徳田に蹴らせたということだった。前節2分間で2ゴールを決めた徳田の方が、荒木よりも考えずに蹴れると鬼木監督は考えたのかもしれない。徳田のシュートは甘かった。確かに相手GKの山勘が当たったと言えばそれまでだが、前回のゴラッソで最近比較されるようになった上田綺世なら枠内に打ったら必ず決めていただろう。
しかし、チームのシーズンの命運を半ば賭けたPKを蹴るというのは、どういうことなのだろう。W杯でPKを外したロベルト・バッジョのように、PKを失敗できるのはPKを蹴る勇気のある者だけだ、ということなのだろうか。多くの人々が言うように、まだ18歳の徳田には代えがたい経験となったのだろう。
詰まるところ、許される失敗とは何か。人生に於ける失敗はすべて許されるのだろうか。キリスト教で言うところの、神の許しが得られるのだろうか。結局のところ、許せるのは徳田自身に他ならない。これを糧をするかどうかは、その後の徳田にかかっている。
要するに、自分自身を許せるのは、自分自身しかいないのだ。