救済は何処に

昨夜の体調はホントに酷かった。それは今朝まで続いていて、12時に寝たのに起きたのは9時。で、やっぱり物凄くダルかった。これは本当にまずいのではないかと危機感を覚えるほど。朝から来客があり、起きたきっかけも母の老人会の年会費を集めにきたから。こういうダルい日にコタツでまたうだうだしていたら本当に酷くなるのが目に見えていたから、昔、もっと酷いうつの時代にへろへろな状態でも業務に行ったことを思い出し、10時過ぎに母の病院に保険のための診断書を依頼しに行き、そのまま業務に赴く。

が、ストレスが凄い。何しろ楽しくもなんともない。ひとつ隣のオヤジの煙草の煙がけむたくてどうしようもないと思ったら、そのうち隣に座った男の体臭がもっと耐えられず、とうとう移動。気分はいつまで経ってもまったく乗らないものの、不思議なものでそのうちダルさは気にならなくなる。なんとか結果を出して、4時ごろに母の病室へ。

本日唯一の救いは、先日一時帰宅したときよりも今日の母の状態がよかったこと。ほんの少しでも上向いてくれると、今は何よりも嬉しい。束の間、わずかばかりの安堵を覚える。

留守中に隣町の叔母が大量の赤飯を置いていってくれて、それを夕飯にするが、量があまりにも多くて1日どころか2日でも食べ切れないほど。僕が一人なのを知っているのにも関わらず、叔母が持ってきてくれるものはいつもそうで、いささか有難迷惑ではある。それから例によって酷い抑うつ状態。何をしても楽しくない。驚くべきことに、唯一の楽しみである筈のサッカーの記事を読んでも楽しくないどころか興味すらひかれない。まったく救い難い。何をしても楽しくないのだから何もしたくないし出来ない。ただひたすら辛いだけ。こういうのを不幸と言わずに何を不幸と言うのだろう。音楽を聴いてもストレスを感じる。手のつけようがない。あまりにも酷いし救いがないので、夜も更けてから気分転換に安定剤を1錠飲んでからノートPCを持って茶の間から台所に移動してみる。で、コーヒーを淹れて本日も煙草を1本吸ってみる。今日で4日連続だな。で、例によって美味しくはないのだけれど、今夜は何故かもう1本吸いたくなる。で、小一時間ほどしてから、YouTubeで自分の昔の音源を聴きながらもう1本吸ってしまった。すると、安定剤が効いてきたのか、今度は少し楽になったような気がした。こうやってやはり元に戻ってしまうのだろうか。結局のところ、今の僕が少しでも幸せらしきものを感じるためには、煙草も必要なのだろうか。晩年の父が毎晩深夜に起き出して台所で煙草を1本吸っていた気持ちが、ちょっとだけ分かるような気がした。

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