衰弱と奇跡

9月27日、日曜日。

昨夜何時に寝たのか記憶が定かでないのは睡眠薬のせいだろうか。うすぼんやりとした記憶を辿ると、1時40分という時刻が頭に浮かぶので、たぶんその辺なのだろう。今朝起きたのは9時半過ぎだから、いずれにしても8時間は寝たはずなのだ。ところが、むやみやたらと体調が悪かった。午前中2時間ソファで寝込む。午後になっても一向に体調はよくならない。ところが外は青空で晴れ渡り暖かったので、明日に予定していた母の一時帰宅を繰り上げて今日にすることにした。

特養に電話して2時半に母を迎えに行く。縁側の籐椅子に座って庭を眺める母は、庭の松の木を見て盛んに心配だという。夏に僕が脚立でできる範囲だけ剪定したものの、手が届かない上の方の枝が伸び放題になっていて、それを剪定するのが危ないから心配だというのだ。どっちにしても高所恐怖症の僕はそこまで剪定しないし、やるとしたら植木屋を呼ぶしかないのだが、それでも心配だという母の言うことはいまひとつよく分からない。

4時半過ぎに母を特養に戻す。帰宅後も一向に体調は上向かず、むしろ夕方以降さらに酷くなっていく。母を送っていって帰宅後すぐに玄関先の植え込みの手入れをしたのだが、台所に戻ると手がぶるぶると震えて止まらない。もう無茶苦茶に体調が悪い。大概の場合、こういうときは夕飯を食べて夜になるとましになるものなのだが(病院で点滴してもらうような理屈だろうか)、今日は夜になってもまったくダメだった。椅子に座っていることすらしんどい。ソファに横になって本を読もうとするが、手に持った文庫本すら重く感じて諦めるくらいだからどうにも救いようがない。確かに気分は悪いし、どこか頭痛もするし、疲労感、脱力感、倦怠感、ありとあらゆるダメな感じがする。なかなか今日の具合の悪さは表現が難しい。そこを無理やり一言でいうと、「みるみるうちに痩せ衰えていく感じ」あるいは「みるみるうちに頬がこけていく感じ」もしくは「リアルタイムで衰弱している感じ」。大袈裟ではなく、もしかしたら僕は死にかけているのかもしれないと思ったくらいだった。

前述のようにソファで横になって本を読むことすら断念したくらいだから、ぐだぐだになって台所に戻り、茫洋とした頭でこれはもう寝るしかないかと考えた。しかし時計を見るとまだ8時過ぎ、こんな時間に寝てしまったらそれこそ一日のリズムが無茶苦茶になってしまう。

それでもう半ばヤケクソになり、かつてのバンドメンバーに片っ端から電話をしてみた。ベースのヨウタロウ、キーボードのヤマザキ、ドラムのアキヤマ。誰も出なかった。ついでにもう3年ばかり電話が繋がらないI泉さんにも久しぶりに電話をかけてみたが予想通り繋がらなかった。

案の定である。ところが次の瞬間、ちょっとした奇跡が起こった。2年近く連絡が取れなかったキーボードのヤマザキが電話をかけ直してきたのだ。これには驚いた。まさに青天の霹靂という奴だ。ちょっと待って、というヤマザキは驚いたことに30年以上会っていない仏文の後輩であるマツダと電話を代わった。ちょうど、マツダの家にヤマザキがメシを食いにきているところだというのである。ヤマザキとマツダはかつて学生寮で同じ部屋であり、僕にヤマザキを紹介したのがマツダだった。電通から外務省に出向というエリート街道をひた走るマツダはちょっと酒が入っているせいもあるのか、機関銃のように喋って僕を唖然とさせ、実際僕はリア充の長広舌に少々辟易とした。それからようやくヤマザキに代わり、実に久しぶりに長話をした。相変わらずヤマザキはホテルその他での演奏で忙しいらしい。2年間僕の電話に出なかったことをそれとなく訊いてみると、案の定僕が長電話だからということらしいが、それ以上に忙しかったということで、ヤマザキ本人は僕との電話を2年振りではなく3ヶ月ぶりぐらいだと思っていたようだ。

特に何がどうという話をしたわけではないのだが、てっきりもう一生話すことはないのかもしれないと思っていたヤマザキと話すことが出来て、望外の喜びを覚えた。何か、上手く言えないけれど充たされたような幸福感があった。それで、ついさっきまで今にも死にそうな気がしていたにも関わらず、ちょっと元気が出た。気の持ちようとは言うものの、人間というのは不思議なものだ。何にせよ、友だちというのはありがたいものだなあと改めて思う。なんのことはない、考えてみればじゃあなんで2年も電話に出なかったんだよ、という話でもあるのだが、それでも僕は長年つかえていたものが取れたような、それこそ大袈裟な言い方をすればもう思い残すことはないというような、そんな気さえしたものだ。

まあそんなわけで、青息吐息で今にも死んでしまいそうな一日の最後にちょっと救われた。それにしてもしかし、今日の異様な体調の悪さは一体なんなのだろう。やっぱりまだ胃潰瘍なのだろうか。

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