Remembering

今日は手の痺れと若干の不安感ぐらいだった。相変わらず業務はしょぼいが。で、夕方例によってソファで2時間ほど寝て、酷い夢を見た。夢の中で僕はまだ学生だった。あんまり酷い夢だったので(おまけにリアリティもあった)、目が覚めたときは夜なのか朝なのか一瞬分からなかった。夜はチャットでマユと長話。マユとはもう30年ぐらい会ってない。学生時代の話をしたので、何か不思議なことをしているような感覚。

今日が阪神大震災のちょうど17年目に当たることを、ツイッターで見るまで思い当たらなかった。あの年はオウムの事件とか、新聞を賑わせることの多い年だった。あの日、高速道路が倒れている映像を朝見たときの感覚をまだ覚えている。9.11のワールド・トレイド・センターに飛行機が突っ込む映像のように、どこか非現実的な光景に見えた。時間の感覚を失った僕には、17年という時間が把握できない。それはどれくらいの長さなのだろうか。世界のあらゆるものは等しく年を取るが、それはたぶん相対的なものなのだと思う。例えば、蝉にとっての一週間と、僕にとっての一週間は明らかに異なる。30年後の世界は想像できないが、30年前の話はできる。それもリアルタイムで。時間というのはひとつの概念、尺度であるが、アインシュタインの言うようにそれが伸びたり縮んだりするのかはともかく、なんか密度のような、質量のようなものを包含している気がする。脳が認識するタイムラグがあるから、僕らはそれを常に「存在した」ものとして把握する。という一文の中に、タイムラグというある種の矛盾が存在する。なんてことを夜中に考えるのはよそう。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク