11月22日、日曜日。
なんとか9時過ぎに起きた。が、案の定眠い。それと煙草のストックが少なくなってきたこともあり、久々に業務に行ってみたのだが不ヅキもあってボコボコに。非常に不愉快。これなら普通に煙草を買った方がずっと安い。もう二度と業務になんか行くものか、などと思う。帰宅後、眠気がなかなか治まらないのでコタツで少々うとうとするも、精神状態悪過ぎて満足に昼寝も出来ず。しかし、眠気はなんとかなる。
台所でノートPCに向かってうだうだしていると、夕方近くなってドアチャイムが鳴った。玄関に出てみると、スキンヘッドに眼鏡の初老の男がいた。男は名乗らず、「誰だか分かる?」と言った。
男は中学校の同級生であるニシダだった。同じく中学校の同級生であるマキにニシダの髪がすっかりなくなっていると聞いていたので分かったのである。一度、ニシダの工場の前で見かけたことがあった。あまりにも老けていたので確信はなかったのだが。
ニシダはうちから徒歩で5分ばかりのところで親から継いだスリッパ工場を経営している。会うのは中学以来、40年振りだ。台所に案内して、それから6時ごろまで1時間半ほど話し込んだ。
ニシダにとっての僕のイメージは、頭がよくてハンサムでスポーツも出来る、ということだったらしい。だからどれだけ順風満帆な人生を送っているのだろうと思っていたと言った。そういう意味では僕は期待を裏切っているわけだ。ニシダの家と工場はちょうどスーパーに行く途中の角にあり、したがってしょっちゅう前を通るのだが、彼とは特別親しかったというわけではなかったので一度それらしい人物を見かけたときも敢えて声をかけなかった。正直言って、ニシダとこれほど話をしたのは今日が初めてである。それまで僕にとってのニシダは、ちょっと蓄膿症気味の鼻にかかった喋り方をするというぐらいの印象しかなかった。
ニシダはこの辺の人にありがちな、発音からして徹底的に訛っているというわけではなく、非常に話しやすかった。僕自身、人と面と向かってこれだけ長い間話すのは実に久しぶりだ。2年振りぐらいではないだろうか。
ちょうど昼寝を試みたときに物凄く悲観的になっていたときだったので、ニシダの来訪はちょっとした救いのように思えた。毎日家に閉じ籠っていても誰もこの家を訪れることなどないし、それだけ僕は孤独だったのだ。だから非常に思いがけないことだった。
夜、夕飯の支度をしていると、べろんべろんに酔っ払ったニシダが飲み屋から電話をかけてきた。ピザとかお好み焼きを食べていないだろうから持って行こうかというのである。僕は夕飯を作っているところだからと言って断ったが、そのとき頭をよぎったのはなんかちょっとめんどくさいな、ということだった。どうも僕が物凄くヒマだと思われているのではないかと。煮詰まることとヒマとは違うのだけれど。人間というのはわがままなものである。物凄くひとりぼっちで寂しいと思う一方で、友人には自分にとって都合のいい距離を置いて欲しいと思ったりもする。実家に戻ってもうすぐ3年、その間ほぼ完璧に孤独であったために、人付き合いのさじ加減がどうもよく分からなくなってしまった。あまりにもひとりぼっちであったために、あまりにも自分のことばかりを考え過ぎた。いまだに田舎に於ける社交というものの要領が分かっていない。そんなものがあればの話だが。
ただね、友人というのはいいものだなあと思うのですよ。自分は一人じゃないと思わせてくれる。
田舎での一人暮らしというものは、本当に出会いというものがない。最近に至っては、ネット上にしか友人知人というものは存在しないのではないかという錯覚すら覚え始めていた。つまり、世界がだんだんヴァーチャルに思えてくる。世界中のあらゆる出来事が、ツイッターのタイムライン上で起こっているような気がしてしまう。そういう意味では、リアルに友人が訪ねてくるというのは非常にありがたいことなのだなと改めて思う次第。