6月1日、水曜日。
悪夢を見て8時49分起床。眠いので朝食後、相場の想定をしてから昼寝もまた悪夢。午後、することがなくなりまた昼寝するとまた悪夢の続き。どこまでも悪夢が追いかけてくる。メンタルが徐々に蝕まれる。
日中はトレードも、エントリーのタイミングが見つからず。ふと気がつくと、待つことが仕事になっていた。待つことが何よりも苦手なのに。
夕食後の夜、いたたまれなくなって意味もなく隣町のコンビニまで車を走らせ戻ってきた。なんの意味もない時間つぶし。ただどこかに行きたくなっただけ。だが結局は帰ることになる。
そこで昔、学生時代に夜行列車で帰省したことを思い出した。今でもまだ夜行列車というものはあるのだろうか。40年以上前、まだ昭和の時代、東京から山形への夜行列車はなんと11時間もかかった。変に早朝に着かないようにわざと時間をかけているのである。当時は日中の普通の特急列車でも6時間ぐらいかかったのではないだろうか。混んでいると、通路に横になる人とかがいた。母と一緒に帰省したときには交代で座ったりしたものだ。当時は列車内のどこにでも灰皿があったからまだよかった。
考えてみれば、どんな仕事でも待つことが仕事ということは普通にある。スタジオの現場にいたときも、僕はひたすら待っていた。結局のところ、今に始まったことではない。
なんでこんなに寂しくなるのだろう? まるでわざわざ各駅に必要以上に長く停まる夜行列車に乗っているみたいだ。そして、僕は何を待っているのだろう?
早見和真「イノセント・デイズ」読了。同じ作者の「八月の母」同様、延々と不愉快な話を読んで、ラストに明快な解がない。溜飲が下がらないので読後感が非常によろしくない。嫌な話を読み続けてその甲斐がないような小説だから、面白いとか面白くないとかという土俵にすら上がっていない感。
— Sukeza (@anykindoflove) June 1, 2022