復讐するは我にあり

3月25日、土曜日。

9時27分起床。眠くて朝食後、台所のテーブルに小一時間突っ伏してうとうと。

丸一日かけてNetflixの韓国ドラマ「ザ・グローリー ~輝かしき復讐~」を最終話まで見終わった。今日だけで10話分ぐらい一気に見たことになる。最初はこの話で1話60分で16回も持つのかと思ったが、残り3話ぐらいになると果たして3話で全部収拾がつくのかと逆に心配になったり。何はともあれ、復讐譚というものは面白い。つまり、何事かの恨みつらみを晴らすということであるから、当然最後にはカタルシスが待っている。登場人物の善悪が非常にはっきりしているので、話に没入できるというか感情移入は容易い。詰まるところ、勧善懲悪の話である。

とはいうものの、復讐をするものはともすると悪になる。つまり、復讐する側が法的、倫理的に悪になってしまうと気持ちのいい話にはならない。そういう意味ではよくできたドラマだった。強いて言えば若干詰めが甘いような気がしないでもないが。

ところで、昨日少し自分について書いたついでを書くと、この長い復讐譚のドラマを見ながらその合間に自分の人生を振り返って、もしかしたら自分は悪なのではないかと思った。例えば小学校のときに消しゴムを1個万引きしたのに始まり、何度か懺悔しなければならないような悪さを、もちろん継続的にではないが犯した。両親に嘘をついたこともある。そういう意味で、もし死後に本当に天国と地獄に分かれるのであれば、僕が行くのは地獄なのではないかという心配事が出てきた。だとすると、死んでから父に会えないことになる。これはちょっと只事ではない。しかしながら、逆に言えば生きている間が天国なのかもしれないな、などと思った。

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