3月4日、月曜日。
9時59分起床。今日も雪。
午前中に特養から電話がかかってきて、母の友人の二人が面会したがっているのでいいか、ということだった。一人はもう一年ぐらい前からボケてしまっているが、恐らくボケていない方のA先生が今日面会したということ。
韓国ドラマ「私の夫と結婚して」、2回目を見終わった。ただでさえ長いと思った話を立て続けにもう1回見れるとは当初思わなかった。記憶を保持したまま人生をやり直せたら上手く行くに決まっている。このドラマのキモは「起こることは必ず起こる」という縛りで、それをいかに回避していくのかという話だ。いわゆる運命論は、起こることは既に決まっており、結果は先にあり、我々はそれをただ辿っているだけだということだ。実際のところ、すべては既に決まっているのだろうか。決まっていなければ予言はあり得ない、ただの妄言だと言える。
夜、YouTubeで昔VHSで持っていた(今も二階にあるかもしれない)Gino Vannelliのビデオを見た。1977年のものだ。今思うに、僕の人生はジノ・ヴァネリと出会ったことがすべてのような気がする。つまりそれは運命論を逆に辿るようなものだが。今でも1977年のジノ・ヴァネリはスリリングで光り輝いている。しかしジノが輝いていたのはA&M時代だけで、それ以降は再び輝くことはなかった。それでもアルバム「Brother To Brother」を初めて深夜喫茶で聴いたときの血の沸き立つような興奮は忘れられない。
運命を変えてしまうようなもの。そういえば長い間聴いていないが、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」の最初の8小節。打ち込みでは決してできない、息遣いとインスピレーション。すべてがそういうものでできていたなら、人生はもう少し美しいものになりそうだが。