端的に言って、毎日書いていたものを書かないのはやはりどこか気持ちが悪い。もしかすると真っ当に生きてきた人ならもう何もしなくていい年齢なのかもしれないが、何もしないことが結構しんどい。例えば、業務でポジションを持ってもそれをひたすら保持しているだけとなると、何もしなくていいわけである。それがなんだかいたたまれなくなる。以前ならずっとチャートやレートを見ていたが、それもしんどくなった。それはそれでただただ磨り減るというか、かえって判断を誤ることの方が多くなる。
連日恐ろしい勢いでプラグインメーカーからセールのメールが届く。今年のブラックフライデーは、今日までのところ気がつくとプラグインを4つ買った。当初は今年はセールになっても買うものがないなと思っていたのだが。しかし必ずしも無駄遣いとは言えず、それぞれ買って後悔はしていない。散々試して、ま、欲しいものを買ったのだから当たり前なのかもしれないが。しかし、このプラグイン沼というのは永遠に続くのだろうか? 何故果てしなく欲しくなるのか。ほぼほぼ依存症に近い。実際のところ、ある種の買い物依存症みたいなものなのだろう。一応このニュアンスが欲しいとか、クリエイティブな欲ではあるのだが。
話を元に戻すと、うちの両親は二人とも他界してしまったが、父も母も50代で早期退職して年金暮らしをしていた。いわゆるところの悠々自適ということなのだろうが、もし自分だったら途方に暮れてしまうと思う。何故俺はいまだにギャンブラーとして生きているのかというと、リスクテイカーというか、薄氷の上を生きていたいのだと思う。
ほぼほぼ寝床でしか本を読まないので、積読本が物凄い勢いで溜まっている。間違いなく生きている間に読みたい本を全部は読めないだろう。にもかかわらず、最近は昔読んだ本を再読していることが多い。今もそうだ。とはいうものの、中高生時代に読んだ本など、ディテイルは覚えていないので初読に近いっちゃ近い。ただぼんやりとあれは面白かったなという記憶があるだけだ。
こうして日々は過ぎていく。刻一刻と年を取り、人生の終わりに近づいているんだろうなとは思うのだが、じゃあどうすれば十全なのかということが分からない。