カチアートを追跡して、それから絶望して

昨夜は2時ごろに寝て、今朝は8時前に起きた。睡眠時間としてはちょうどよい。が、例によって目が覚めると同時に絶望を覚えた。僕の目の前には薬漬けになっていた7年あまりが、空白の7年間として忽然と現れた。まさに浦島太郎だ。しばし唖然とする。僕は7年間という長大な時間を既に失ってしまい、それはすべて手遅れなのだ、と思った。その歳月は、僕の側からは見えなかった。僕の外側にのみ存在するものだった。その空白の巨大さは、僕を呆然とさせるのに十分だった。従って、午前中から不安の虫が僕に取り付いたのは言うまでもない。困ったものである。それはともかく、昨夜の10時から始めた禁煙は、今朝の9時36分まで続いた。ということは、そこで終わったということだ。

やけに空腹を覚えて昼食は珍しく吉野家で定食を食べた。それから何をしたらいいのか分からないのでいつもの店を覗いて改めてダメなことを確認して外に出たが、いつの間にか夢遊病者のように足が改札をくぐり抜けて電車に乗っていた。来月引っ越す予定の隣の駅で降り、他に思いつかないので業務の下見、ついでに少々試してみるがすぐにヤメ、引っ越す予定のマンションをその足で見に行った。引越しの予定日までもう10日を切っているので、当然のことながらマンションは既に完成していた。どうにもピンと来なかった。ここに引っ越してくる、この街に引っ越してくるということが。すると、またすべてが不安に思えた。あらゆることが不確かで覚束なく、頼りなく思えてきてしまった。こうなるとどうしようもない。不安でふらふらしながら電車で地元に戻り、とにかく落ち着こうとドトールの外の席で抹茶ラテとエスプレッソを飲んだ。店に入ったときは危うく卒倒しそうな気配で、何をするにも自信というものが消え失せ、どうやって人間というものが生きているのかすら見失っているような状態だったが、席に座って読み終わりそうな「カチアートを追跡して」を読んでいるうちにようやく落ち着いてきた。日が翳り始めるころ、スーパーから夕飯の鮨を買って帰る。

帰宅してまたぞろネット上で就職活動をしているとさらに気分は落ち着いてきた。夕食後、ティム・オブライエン「カチアートを追跡して」を読了。で、ベトナム戦争を舞台に、決して分かりやすいとは言えない、長い一片の夢想とも言えるこの物語をまさに読み終わるというころに、また不安がやってきた。それは老後に対する不安だった。それはあまりにも具体的で、僕をまた絶望させるのには十分過ぎるほどだった。この物語は、今の僕のように不安感に日々苛まれるような精神状態で読むべき本ではなかったのかも知れない。ティム・オブライエンは大好きな作家だけれど、今の僕にはベトナム戦争は少々荷が重すぎ、話は夢幻的過ぎた。そして、最後まで読んでカタルシスが得られるような話でもなかった(僕の精神状態のせいかも知れない)。よって、僕は余計な雑念、それも重過ぎる雑念を抱いて絶望する羽目になったのだ。

それはあまりにも深い絶望であったため、かえって昼間のようには引き摺らなかった。もはや考えても仕方がないレベルであるから。それでも僕らは生きざるを得ない。生きるということが絶望とイコールになるなんて、こんなに救いのないことが果たしてあるだろうか。だが、すべての可能性が潰えたわけではまだない。まだ何も終わってはいないのだ。そこにはまだ希望というものがある。それすら見失うほどには絶望していない。ただ考えると憂鬱なだけだ。だから、本を読み終えて自動販売機まで煙草を買いに行き、戻ってシャワーを浴びるころには憂鬱な空想・想像を少しは押さえ込むことが出来た。だが、またぶり返すと嫌なので、この日記を書く前に安定剤を1錠飲んだ。僕はこれまで、ある意味想像力に乏し過ぎた。それが今、たぶん悪い意味で全開になったりするのだ。それはある種の反動というものだろう。その振幅が大き過ぎて、僕の精神を大きく揺らしてしまうのだった。今の僕には、世の中の人すべてが、どうしてこう能天気で呑気で前向きなのか、とても不思議に思える。巨額の負債を抱えながらあと25年頑張ると笑顔で話すミヤザワがなんであんなにポジティブで楽天的で自信に満ちているのか、年金をもらえず貯蓄もないヤマザキがどうして平気なのか。たぶん、今の僕が悲観の虫に捕らわれているせいだろう。僕は彼らの爪の垢を煎じて飲むべきなのだ。たぶん、まだなんとかなるだろう。今からでもまだ間に合うだろう。何故なら、すべてはまだ何も起こっていないから。僕の頭を占有しているのは、ただの想像の産物でしかない。すべてはこれから始まるもので、まだどうにでも変えようがあるのだ。結局のところ、人間というのはそう思って生きていくしかない。希望を抱えて生きていくしかない。絶望のみを背負って生きていくことなど、所詮出来はしないのだ。

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