痛恨、不覚

そんなわけで、ようやく父の葬儀が終わった。前回の日記に斎場と書いたのは、葬儀会場の間違い。斎場は火葬場のことだった。

昨夜は弟一家と会場の宿泊施設に泊まり、今朝の8時半に出棺、9時に火葬、13時から葬儀。まあなんつーか、母の入院からの一連の流れで喪主を務めるのは、あまりにもへヴィーだった。12月の18日に父が脳死だと聞かされて以来、既に父に関しては踏ん切りはついており、これまで涙を流したことは一度もなかった。なので、元来人前で話すことはむしろ得意であることもあり、喪主の挨拶の原稿は用意しなかった。ところが、どういうわけか喪主の挨拶をする段になり、最初の一言、本日は時節柄もあり雪の日になってしまいました、と言ったところでどういうわけか不覚にも言葉に詰まってしまい、それは別に次の言葉が浮かばないのではなく、声が詰まってしまったのだった。確かに風邪で喉はやられてはいるけれど、その後ようやく振り絞った僕の声は明らかにか細い涙声であり、なんとも不可思議なことに実に無様な喪主の挨拶になってしまった。まったく痛恨の極みだ。特に感極まったわけでもないのに、一体僕に何が起こったのだろう。たぶん、僕の精神力はとうに限界に達し、喫水線をオーバーしていたのだと思う。その前の読経や弔辞の最中に、僕は最前列で何度も寝そうになっていた。で、喪主の挨拶の段になって、僕の精神は遂に決壊してしまった、というわけだろう。一度決壊してしまうと、その後の会葬者の見送りでも涙ぐんでしまうという醜態を晒してしまった。

そんなこともあり、葬儀が終わったと言ってもすべてが終わった感じはまったくせず、自宅に来た親戚一同がなかなか帰らないのが苦痛で仕方なかった。で、ようやく叔父叔母の一組を残して親戚が帰ったところで、着替えて母の病院に行った。書類を揃える件、昨日判明した肺炎の治療の件、パジャマや下着等の替えを持っていくこと、母の調子がよければ父の死を知らせること、とにかく今の僕には父のことよりも母のことの方が大事だ。ちなみに昨日の朝医師から電話があって、腎不全の疑いがあるということで急遽母を(総合)病院に連れて行って、諸々の検査を行った結果、腎臓は大丈夫なものの、重い肺炎にかかっていて治療が必要とのことだった。

病室に入っていくと、今日の母は昨日よりずっと妄言が酷かった。妄想の度合いはずっと酷かった。話している母を見ていて、今度こそ本当に泣きそうになった。まったく今日の僕は涙もろいというか、単にもろい。果てしない絶望を抱えて帰宅する羽目に。

帰宅して弟一家とコタツでサッカー日本代表の親善試合、ラトビア戦を見たりするが、弟一家はあまりにも幸せそうに見えて、今の僕と相容れるところは一切ないように思える。葬儀が終わっても、日曜日には初七日があり、その間にも葬儀に来れなかった訪問客があるだろう。本当の意味で解放されるのはまだ当分先、というか、そんなものは本当に訪れるのだろうかと思える。とにかく今の僕は、ありとあらゆる人に放っておいて欲しいのである。

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