2時過ぎ就寝(睡眠薬使用)、8時起床。やっぱりそれほど悪い夢じゃないなと思っていても、起きるころに近づくに連れて展開が怪しくなり、目が覚めるときには嫌な夢を見たという感じが残る。
世間は4連休、僕に必要なのは休養、しかしやっぱり業務に出かけてしまう。で、様子見のつもりが頑張り過ぎてしまう。そもそも今日は選択を誤ったし、無理をした。
今日は母の病院に行くのは気が進まなかった。気が重くて。疲れてるからと電話で済まそうかとも思った。でも、昨日入浴の日でもあったから洗濯物もあるだろうし、ハナから暗い気分で病院に寄った。
母の状態はさらに悪化した。自分の居場所がない、ここは自分のベッドじゃない、看護師が何もやってくれないとか、事実とは異なる妄言を話す。表情がない。喜怒楽の感情が欠落している。いちごが置いてあったので、誰か来たのかと尋ねると、町内の叔母が来たというが、それが今日なのか昨日なのか覚えていないという。看護師に訊いてみると今日だ。今日の母の状態は入院前の状態を想起させるものだった。ただでさえ疲れて鬱屈している僕は、笑顔で励ますことが出来なかった。以前と同じ兆候が現れたので、また前のように酷くなるのではという恐怖心が、ひたすら僕の気を滅入らせた。母と話せば話すほど、僕は深い奈落の底に沈んで窒息してしまいそうだった。
帰宅した僕は、すっかり重苦しい絶望の只中にいた。今日見舞いに来た叔母に電話して、見舞いの礼と、今の母はあまりにも状態が悪いので見舞いはしばらく控えて欲しいと言った。僕の留守中に電話したというので、最近の僕は母同様、酷いうつなのだと話すと、叔母は僕がうつ病であることを知らなかったらしく驚いてはいたものの、いくら話しても年老いた叔母は僕の病気のことも、母の病気のことも、要するに精神疾患というものをまったく理解出来ていなかった。で、明後日の日曜の午後にうちに線香を上げに来たいという。僕の状態が悪く、具合が悪いということを全然分かってくれない。僕はさらに気が重くなった。当日本当に具合が悪ければ、断りの電話を入れるということにした。さらに悪いことに、叔母は母の友人が見舞いに行ったときに、「死にたい」と盛んに漏らしていたと聞いたと言う。初耳だ。僕には母はそんなことは一言も言ったことがない。酷い抑うつ状態の人間に敢えて言うべきことでもない。ホントに叔母は何も分かっていない。
もはや、僕は救いがたいほど息苦しくなり、誰かに母が悪化したと話したくて、先日の言を破って弟に電話したが、全然気が楽にはなれなかった。そんな感じで、夕食後はHと長電話してなんとか気を紛らわせるが、電話を切るとまた沈んでしまい、何も出来なくなる。台所のテーブルでしばし呆然とする。煙草だけが増える。今日はとうとう20本を超えて21本。これだけ精神状態が酷いとしょうがないかな。
まだ風呂に入っていないのに猛烈に眠くなっている。でも、寝るのも憂鬱だ。