被爆

ちょうど夕立の本降りのときに帰路に就いてしまい、ずぶ濡れに。外部被爆。今日も夕方から痺れが酷く、帰宅してから頓服1錠飲んでソファで寝ようとしたがどうしても眠れず、もう1錠追加で飲んだらなんとか2時間ほど気絶できた。覚醒後は大分マシに。

今日思ったこと。アメリカ産のスイカは結構うまい。詰め替え用のシャンプーを詰め替えるのは非常にめんどくさい。

日付は変わってしまったが、広島に原爆が投下された日、その後つい最近まで日本は唯一の被爆国、みたいに言われてきたが、考えてみればビキニ諸島とかでの核実験→スリーマイル→チェルノブイリ→福島って具合に、被爆の意味自体が変容しているように思える。そしてそれは確実に悪化している。まだ冷戦の時代、核戦争の危機が盛んに取り沙汰され、現実にキューバ危機のように寸前まで行ったこともあった。キューブリックの「博士の異常な愛情」なんかは典型的に核戦争に対する当時の人々の意識を反映しているが、その後、小説でも漫画でも「近未来=核戦争後の世界」みたいなパターンがしばらく定着した。「北斗の拳」とか枚挙に暇がない。で、アメリカは現在2万発の核兵器を所有しているが、いまのところ核戦争はまだ起こっていない。しかし、3.11以降、僕らは現実に核戦争後の未来を生きている。ただ目に見える風景が変わらない、というだけで。

僕が福島とか原発方面に対してあまり積極的に発言しないのは、そこにロマンティシズムのかけらもないからだ。だから創作の起点にならない。もし僕が自分で歌詞を書いて歌うシンガーソングライターだったとしても、被災地に対する歌を作ろうとはたぶん思わないだろう。何故なら、それはあまりにも表層的で自己愛的な作業であるから。もしいまだに楽器を弾き続けていたならば、被災地に行ってセッションぐらいはやるかもしれない。何故なら、それは慰めではなく、娯楽だからだ。

ところで、書き始めた小説の方はあれから一向に進んでいない。っていうのもこのところあまりにも毎日痺れが酷くて、とても書ける状態ではなかったし、次のチャプターが物語の方向をほぼ決めてしまう重要なシーンなので、ずっと沈思黙考してるのだった。なので途中放棄しているのではない。次のシーンが書ければ、恐らくすいすいと進むだろう。

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